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2018年4月

倫理観

   我が国も捨てたものじゃない、と (ほんの一瞬のことながら)

   思ったのは他でもない・・・  誠にもって恥ずかしながら

   「国家公務員倫理規程(政令)」という立派な法律の中身を

   最近になって知ったことによる。

   しかも、倫理規定審査会という組織まで在るというではないか。

   我が国も、流石に如才なく「やる事」はやっているのですね。

     - - -

   因みに、この倫理規定の第一条(目的)の文言が素晴らしい。

   おもわず、公務員の人達に教えてあげたい?と思った位である。

   少し長いが全文を記載してみる。

     「この法律は、国家公務員が国民全体の奉仕者であって

     その職務は国民から負託された公務にあることにかんがみ

     国家公務員の職務に係る倫理の保持に資するため必要な

     措置を講じることにより職務の執行の公正さに対する国民の

     疑惑や不信を招くような行為の防止を図り もって公務に

     対する国民の信頼を確保することを目的とする」

   勿論、「教えてあげたい」というのは下手な洒落で、恐らく

   頭脳明晰な国家公務員幹部諸氏は、倫理規定など、丸暗記

   されているに違いない。

   そういえば、憲法にも確か15条あたりで、

    「すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者

     ではない」

   という条文を思い出した。

   この「一部の・・」という表現が、今 なんとも意味深に響く。

     - - -

   ところで、昨今の公務員の言動に対して、政治家からも、

   猛省とか膿を出し切るとかの言葉を聞くことがあるが、

   その事自体勿論賛成だが、一方で、政治家の皆さんの

   「倫理規定」はどうなっているのだろうか

   勿論、個々、個別に様々な法律(ルール)で「しばり」が

   あるのだろうが、「倫理規定」というまとまったものは

   あるのだろうか、もしなければ「櫂から始めろ」じゃないが

   政治家の心得としてまとまったものがある方が親切では

   ないだろうか。

   昨今、「選挙に強く」ても「倫理観は別」という方がちらほら

   おられるようにお見受けいたしますから・・・。

         (付記) ある人に言わせると

         政治倫理綱領 といったものがあるが

         どうやら実態は「ある」ということだけで

         それ以上でもなくそれ以下でもない

         という大人の説明。

 

 

 

 

 

 

 

余計なひと言

   残念ながら未だ直接お見掛けしたこともなく、ご高説を賜った

   ような機会もない。

   氏育ち、華やかな経歴等から察して、さぞかし「人間味」溢れる

   魅力的なお方なのであろう。

   我が国、財務大臣殿のことである。

   過日、或る件での財務省宛て抗議文書について、記者からこれを

   見た(読んだ)かと聞かれた大臣殿  「もう少し大きな字で

   書いてもらった方が、見やすいなと思った程度に見ました」。

   ご本人は、恐らく本件の「モヤモヤ感」を、洒落かユーモア交じりの

   つもりで答えられたのであろうが、

   このひと言、ーーー聞く人達に不快感や疑念を持たれるような

   「ひと言」は、洒落でもなければユーモアでもない。

   精々「苦笑」程度のセンスである。

   少なくとも、時と場所、世論の注目度合いを勘案すれば、

   当該大臣殿が口にする「ひと言」ではありません。

   文字通り、なんの役にも立たない「余計なひと言」。

   それとも、何か深い読みや意図から、あえて「変化球」の

   答弁をされたのであろうか・・・。

   いずれにしろ、市民感覚では、「余計なひと言」に聞こえるが、

   大臣殿からは「余計なお世話!」 か。

 

 

ある提言

     日頃から世間の動向については、人並みに関心もあり

     新聞に出ている程度の情報は把握しているつもりだが、

     それにつけても、昨今の政権周辺、官僚世界のアレコレは

     一体どうしたものかと、目を覆いたくなる。

     特に、我が国最大の頭脳集団とも言われる「財務省」の

     不手際の悪さには、国民の多くも呆れるばかりである。

     その背景、原因については、思う処もあるが、

     ここではさて置くとして、少なくとも多くの国民が感じている

     イライラの1つは、官僚(政治家も含め)世界の常識は、

     国民の非常識、というあたりにあるのではなかろうか。

     「政争」絡みになるため、「無理筋」と思われる事も「正当化」

     しようと、折角の頭脳をそちらの方面に使っている様は、

     なんとも「もったいない」気がする。

     「いい加減にしてくれ!」と言いたくなることが多すぎると

     思いませんか。

     ーーー そこで、ふと思い付いたのが「財務員制度」。

     かの「裁判員制度」のもじり。

     平成21年施行の裁判員制度は、国民の司法参加により

     市民の持つ「日常感覚」や「常識」といったものを裁判に

     反映させたいということが大きな目的の1つだが、

     「財務省」におかれても、勉強ばかりして、世情に疎い

     人達の集団ということであれば、いっそのこと

     「財務員制度」を導入して、市民感覚や常識を業務遂行に

     反映されては如何でしょうか。

     --- この提言案、勿論1つの「揶揄」「風刺」(笑)だが、

     本気にされかねない状況こそ困りモノでございますネ。

 

世相を読む

   昨今世間を騒がせているアレコレについて、私なりに

   概観すると、1つの共通点を感じるのである。

   それらの多くは、「旧態依然」の組織や体制から生じている

   という点である。

   相撲協会然り、レスリング協会然り、まして況や「政界」然りである。

   これらの組織や体制は、「既存の形」を守る事こそが正義であり、

   王道であるという点においても共通の要素を有している。

   ところが、そこから生じる確固たる「価値観」「倫理観」が、

   現実世間の「空気」と馴染まなくなってきている。

   そのことが、「アレコレ」の背景にある根深きモノ。というのが

   私なりの見立てである。

   その事をより深く検討する際のキーワードは「情報化社会」の

   熟成あたりにあるのではないだろうか。

     - - -

   たとえ話、として相撲協会における過日の「土俵と女性」問題。

   従前からも問題になっているテーマだが、協会内の人達に

   とって、まさかこんなに大きな問題になるとは・・・というのが

   本音ではないだろうか。

   正しくそれが、「情報化社会」に対応しきれていない「旧態依然」

   の証左とはいえないだろうか。

   確かに、ひと昔前なら、地方巡業での出来事など、たとえ

   ニュースになっても2,3日で通り過ぎるようなものだが、

   今や、即刻全国に流れ、連日テレビのワイドショウ等で

   詳細に触れられるご時世である。

   ある責任ある理事が、「トイレに行っていて・・」という会見も

   すぐさま別の画像や動画が全国に拡がるご時世なのである。

   この現実こそ「情報化社会」の良い処でもあり、怖い処でもある。

    - - -

   政治の世界においてもその様相は同じである。

   国民の民度が向上しているかどうかは定かではないが、

   少なくとも、国民ひとりひとりが入手する「情報」の容量は

   ひと昔に比べ格段に大きい。

   このことを政治家は、しっかりと弁える必要がある。

   「旧態依然」の感覚・感性で、 この程度のことは・・・と

   従来と同じ手法で軽く取り扱うと足を掬われることになる。

   「情報化社会」は、政治家がついうっかりと本音を漏らした

   ひと言でも、瞬時にキャッチし、それを全国に発信する強力な

   「力」を有している。

   今や政治家にとっての強敵は、ライバル政党以上に、

   「情報」によって敗北する時代、とも言えるのではないだろうか。

   逆に、「情報」を味方?にすると強力な力を発揮することになる。

   そういう目で、アレコレの世相を眺めていると・・・

   新たに見えてくるものがある。

 

 

 

情報公開

  Dsc01099_2

      Dsc01100
    上の写真は、東京北の丸公園にある国立公文書館である。

    今までも何度か訪れたこともあり、別段珍しい建物ではないが、

    過日、通りかかった折、「公文書」という文字が、私の研ぎ

    澄まされた! アンテナに引っかかり、おもわず写真を撮って

    きたという次第である。

    世間を騒がせているのは、決してこの建物が悪いのでは

    ありません。

    逆に、 もし未訪であれば、1度は訪ねて、時々の展示物を

    観て廻るだけでも 訪問の価値はあると 申しておきましょう。

      - - -

    さて、公文書から思い起こされる、少しは真面目な話も

    しておこう。

    新聞で触れている程度の知識しか持ち合わせていないが、

    今、世界各国での大きな流れの1つが、「政府の情報公開」

    であり、理屈抜きにこの風潮が定着してきている。

    こういった国際社会の動きのなかで、逆行するかの如く、

    今回の我が国「公文書改ざん」問題である。

    その根は案外深く、単に与野党の政争のレベルではなく、

    政治の在り方に関わる問題である。

      曰く  国会等における 情報開示の消極性

      曰く  どことなく見え隠れする隠蔽体質

      曰く  そこから生じる責任の所在の曖昧さ

    これらは全てその国の政治レベルに関わってくる問題でもある。

     - - -

    ひと昔前、経済は一流、政治は三流と揶揄されたことがある。

     (今や経済も・・・ということになりつつあるが)

    そのモノサシの1つが「情報公開」の度合い、かと思う。

    時々の政権が有する情報は、「特段の事由あるものを除き、

    原則として全て公開」の原理原則が定着しない限り、

    政治の後進性からはいつまでも脱し得ないと思うのだが

    如何なものであろうか。

    情報を一定の思惑によって選別して公開している限り、

    責任の所在も曖昧になり、その分政治のメリハリも薄れる。

    全ての情報を公けにすることで、責任の所在も明確になる

    ことから、その分政治家の姿勢もより真剣なものとなら

    ざるを得ない。(言葉の重みにも繋がる)

    「情報公開」が我が国政治の1つの「鍵」を有していると

    言えないだろうか。

    今回の「公文書」問題が1つの試金石となる。

      

 

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