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情報公開

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    上の写真は、東京北の丸公園にある国立公文書館である。

    今までも何度か訪れたこともあり、別段珍しい建物ではないが、

    過日、通りかかった折、「公文書」という文字が、私の研ぎ

    澄まされた! アンテナに引っかかり、おもわず写真を撮って

    きたという次第である。

    世間を騒がせているのは、決してこの建物が悪いのでは

    ありません。

    逆に、 もし未訪であれば、1度は訪ねて、時々の展示物を

    観て廻るだけでも 訪問の価値はあると 申しておきましょう。

      - - -

    さて、公文書から思い起こされる、少しは真面目な話も

    しておこう。

    新聞で触れている程度の知識しか持ち合わせていないが、

    今、世界各国での大きな流れの1つが、「政府の情報公開」

    であり、理屈抜きにこの風潮が定着してきている。

    こういった国際社会の動きのなかで、逆行するかの如く、

    今回の我が国「公文書改ざん」問題である。

    その根は案外深く、単に与野党の政争のレベルではなく、

    政治の在り方に関わる問題である。

      曰く  国会等における 情報開示の消極性

      曰く  どことなく見え隠れする隠蔽体質

      曰く  そこから生じる責任の所在の曖昧さ

    これらは全てその国の政治レベルに関わってくる問題でもある。

     - - -

    ひと昔前、経済は一流、政治は三流と揶揄されたことがある。

     (今や経済も・・・ということになりつつあるが)

    そのモノサシの1つが「情報公開」の度合い、かと思う。

    時々の政権が有する情報は、「特段の事由あるものを除き、

    原則として全て公開」の原理原則が定着しない限り、

    政治の後進性からはいつまでも脱し得ないと思うのだが

    如何なものであろうか。

    情報を一定の思惑によって選別して公開している限り、

    責任の所在も曖昧になり、その分政治のメリハリも薄れる。

    全ての情報を公けにすることで、責任の所在も明確になる

    ことから、その分政治家の姿勢もより真剣なものとなら

    ざるを得ない。(言葉の重みにも繋がる)

    「情報公開」が我が国政治の1つの「鍵」を有していると

    言えないだろうか。

    今回の「公文書」問題が1つの試金石となる。

      

 

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