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2018年5月

ある体験

   「方向感覚」は、人並みに有る、と自負している。

   初めて訪れる場所でも、大きく方向を間違えたり、捜しあぐねる

   ことはあまり無い方である。

   ところが、過日 とんでもない体験をやらかしてしまった。

   ある駅を降りて、目的地(駅から1キロほど歩いた処)の方角に

   歩き始めたのはいいのだが、折り曲がる道をついうっかりして

   間違えたのか、そのまま道なりに進んでしまったのである。

   (東京の道路事情は、1つ道を間違えると方向が大きく違って

    くることが大きな特徴)

   なんとなく変と感じ始めたが、すでに1キロ近く歩いている。

   さあどうする!

   はっきりと間違いと確証を得られない状況で、元の道を駅まで

   引き返す気にもならないものである。(すでに相当歩いている!)

   ままよ、「もう少し歩くしかない」と結論付けた。

   勿論、なんの根拠もないままの決断である。

   (少し言い訳すると、運悪く人家、人通りの全くない道路である)

   案の定、いつの間にか目的地とは逆方向にどんどんと歩いて

   いたのである。

   結局、そのまま逆方向にある駅に辿り着き、そこから電車で

   元の駅に戻るというテイタラク(苦笑)

     - - -

   さて、転んでもタダで起きない・・・これからが本題である。

   私は、何故「何だか変」と思いながらも、その道をそのまま

   進んでしまったのであろうか。

   と、ここでふと、 そう言えば あの「悪質タックル」。

   何故、あのような事が生じてしまったのか。 

   全く次元の異なる出来事だが、根っこで結び付く何かが

   あるのではないだろうか・・・・。 と思った次第である。

     - - -

   聞き齧った程度の理解だが、心理学に「トンネル理論(効果)」

   というのがあるらしい。

   専門家からは、不正確と言われそうだが、要するに、例えば人は

   トンネルのような限られた環境、境遇、空間に追い込まれた場合、

   なんだか変、と解っていても、今まで進んできた方向に歩みを

   進めてしまう心理(状態)という事らしい。

   折角今迄トンネルの中を手探りで進んできたのを、途中で逆方向

   (今まで来た道)に引き返すのは、相当の勇気と決断を要す。

   第三者は何故?と疑問に感じる事も、当事者にとっては、人が

   思うほど容易なことではない・・・とする心理状態 の由である。

   私の先の愚かな体験も、 正しく実感!である。

   転んでも・・・今ではいい経験と思うことにしている。

   「悪質タックル」問題も、なんらかの関係があるのかもしれない。

   トンネルでの出来事も その後の感応、態度如何で、トンネルから

   明るい地上に浮かび上がることも、逆にトンネル内に埋まったまま

   になるのか、正しくヒト様々・・・そんな事を考えさせられた。

 

 

 

 

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小さな器

   池波正太郎のエッセーに 「一升桝の度量」というのがある。

   所詮、一升ますには、一升しか入らない と極く 真っ当な

   話である。

   が、 世の中には、この一升桝に、 二升や三升を詰め込もうとして

   様々な副作用や、周りに迷惑を与えている例が多い、と

   いかにも池波流 ピリリと「にらみ」を利かせた話である。

     - - -

   言われてみれば、 成る程 昨今の世の中見渡してみれば、

   御大層な肩書にあり付いたが故に、 自らをそれに相応しい

   器の持ち主と錯覚したり、 それに相応しい外見をと、背伸び

   し続けているのが見え見えの滑稽な輩が、やたら目立つのは

   どうしたことか。

   確かに「地位や肩書がヒトを創る」面もあるだろうが、

   誰もが・・ということこそ 残念な錯覚。

   そういう輩にかぎって、 周りから適格な指摘を受ければ

   受ける程、バリアを張り、それこそ知性、品格をどこかに

   置き忘れて、声高、上から目線で保身に走る。

   器はうそつかない。 正直である。

     - - -

   そう言えば、 佐藤優氏も 「実証性や客観性を軽視もしくは

   無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」の

   反知性主義者が横行している、と指摘されている。

   なんだか、根っこは同じような気がする。

   権力、権威に胡坐をかいているような人々にも 要注視の

   世の中である。

 

 

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川中島「辞世」合戦

    ある本に上杉謙信の「辞世」が出ていた。

    次のようである。

      「   四十九年   一睡の夢

          一期の栄華  一杯の酒  」

    如何にも戦国武将らしい 簡潔にして 潔い 達観ではないか。

    因みに 謙信 49年の 生涯であった。

       - - -

    謙信とくれば、 さて武田信玄は?・・となるは必定。

    どうやら 次のようである。

      「  大抵還他肌骨好  不塗紅自風流  」

      (大抵は地に任せて 肌骨好し紅紛を塗らず自ら風流 )

    勝手に超訳すれば、 「世の流れに身を任せ 本音で生きるが

    風流」 といった処かな?

    世が世なら天下を取っていても不思議ではない、大物の

    風格といったものを感じる。

    因みに 信玄  51年の 生涯であった。

     (3年間 喪を秘す・・・ 黒澤明監督 「影武者」 )

      - - -

    さて、 この両雄夫々の 「辞世」 どちらが

    現代人の胸に染みるか・・・・。

    個人的な好みから言えば、やや謙信の「一杯の酒」に

    軍配を挙げたい処だが、 両雄はやはり並び立たず

    ここでも 「引き分け」ということにしておこう。

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