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小さな器

   池波正太郎のエッセーに 「一升桝の度量」というのがある。

   所詮、一升ますには、一升しか入らない と極く 真っ当な

   話である。

   が、 世の中には、この一升桝に、 二升や三升を詰め込もうとして

   様々な副作用や、周りに迷惑を与えている例が多い、と

   いかにも池波流 ピリリと「にらみ」を利かせた話である。

     - - -

   言われてみれば、 成る程 昨今の世の中見渡してみれば、

   御大層な肩書にあり付いたが故に、 自らをそれに相応しい

   器の持ち主と錯覚したり、 それに相応しい外見をと、背伸び

   し続けているのが見え見えの滑稽な輩が、やたら目立つのは

   どうしたことか。

   確かに「地位や肩書がヒトを創る」面もあるだろうが、

   誰もが・・ということこそ 残念な錯覚。

   そういう輩にかぎって、 周りから適格な指摘を受ければ

   受ける程、バリアを張り、それこそ知性、品格をどこかに

   置き忘れて、声高、上から目線で保身に走る。

   器はうそつかない。 正直である。

     - - -

   そう言えば、 佐藤優氏も 「実証性や客観性を軽視もしくは

   無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」の

   反知性主義者が横行している、と指摘されている。

   なんだか、根っこは同じような気がする。

   権力、権威に胡坐をかいているような人々にも 要注視の

   世の中である。

 

 

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