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2018年6月

「幸福」のフアンタジー

      {貴方は 「幸福」 ですか?}

      と、問われたら 貴方なら どう答えますか。

       多くの 日本人は 「まあまあ」 と 答えるらしい。

      「幸福」 の感覚には、国民性や風土が色濃く反映する

      ようですね。

      そもそも 「幸福」に絶対的な指標なんてありません。

      「幸福」は 人 夫々の感受性。

      「まあまあ」と答えられる日本人、総じてまあまあ幸福な

      国民なのかもしれませんね。

         - - -

      人は皆、意識をしていないのだが、「幸福行きの列車」に

      乗っています。

      でもこの列車は 永遠に 「幸福」には着きません。

      それでも 一生懸命 「幸福」目指して走り続けます。

      永遠に幸福には辿り付かない・・・列車に乗り続けて

      多くの人達は一生を終えます。

      中に、目端の利く人達が、そんな列車に見切りを付けて、

      途中下車します。

      どちらが「幸福」なのか・・・誰にも解りません。

      そもそも 「幸福」って どういうものなのでしょうね。

        - - -

      「3月20日」 我が国ではあまりマスコミも大々的に

      取り上げていませんがこの日は 「国連世界幸福の日」

      なんだそうです。

      毎年、「世界幸福度ランキング」(米国コロンビア大学が

      国連より委託され調査)が発表されます。

      いわゆるアンケート調査によるものであり、

      その指標は次のようなものです。

        1人当たり GDP

        社会的支援(困った時に頼りになる親戚や友人がいるか)

        健康寿命

        人生選択の自由度

        寛容性 (チャリティなどへの寄付有無)

        社会の腐敗度

      2018年の結果によると、日本は54位(150余国中)。

      これをどう見るかは、面白い処です。

      因みに主要順位は次の通り。

            1 位    フィンランド

            2      ノルウェー

            3      デンマーク

            4      アイスランド

            5      スイス

            18     アメリカ

            54     日本

            57     韓国

            59     ロシア

            86     中国

      一応、興味深いデータだが、例えば日本の場合も

      アンケートに対して「まあまあ」のお国柄、あまり

      一喜一憂することもないと思うのですが、如何な

      ものでしょうか。

         - - -

      さて、結局の処、 「幸福」とは?

      いい加減な人間が、いい加減なことは言えません。

      ここは、先人のお言葉をお借りして一応の

      「中締め」とさせて頂きます。

          「 苦楽は こころの 持ちようなり

            日々 わが身の幸福に感謝して生きよ」 

 

 

 

 

 

 

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光陰早や(は矢)

   今年も早や折り返しの6月。

   と、 毎年この頃になると 同じセリフが頭を過る。

   歳の所為・・と 感嘆するのも いつもの事である。

   それにつけても 月日の過ぎ行くこの速さに驚くばかりなり。

     - - -

   さて、歳とともに、この過ぎ行く月日の速く感じるのは

   何故なのか。

   世に諸説あるようだが、 私が最も感覚的にしっくりくるのは

   たとえば・・・

     同じ1キロの道程を歩く場合も、初めての道は

     なんだか、遠く 時間も掛かるように感じるものだが

     毎日のように歩き慣れている道だと、同じ1キロでも

     近く、時間的にも早く着くように感じるものである。

     人生も然り  ・・・ というわけである。

   錯覚も含め、歳を重ねることによって、いわゆる「未知」

   の出来事が少なくなり、なんとなくアレもコレも知っている、

   経験していると、無意識的に軽く流していることが多くなる。

   で、時間(月日)が速く過ぎていく(ように感じる)というわけで

   ある。

   人生のベテランの証左として、自信を持っていいわけだが、

   今少し 若者時代の感覚を取り戻したいという御仁には、

   先人の次のような教えがある。

    「歳を経ても 常に新しい事にチャレンジする精神を持て」

   言葉として得ても、身体が受け付けない・・・で、

   現状 人生のベテラン振りを発揮しているという次第。

   さて、ご同輩は 如何でございますか。

 

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事の重大さ

   ある事象に対して、その事がどれ程の重大な事か、その影響力の

   大きさがどの程度かを速やかにかつ的確に判断し、その度合いに

   応じて適切な対応が出来ないと、特にリーダーという地位にある

   人々にとっては致命的となる。

   「日大問題」などはその典型例であろう。

   このような視点からも、国家レベルで一寸気になる事がある。

   例の「森友問題」である。

     - - -

   立場(与野党)によって、思う処は夫々であろうが、我々国民の

   立場からは、「真実」が未だ見えず、釈然としないままで今日に至る

   というのが大勢を占めているのではないだろうか。

   国会での論点が、「果たして政治家の関与、指示があったのか

   どうか」に集中した処があり、「有った、無かった」の水掛け論というか

   平行線のままで終始している。

   「真実」はさて置き、そうしたやり取りのなかで、実は重大な発言が

   あった。

   官僚の「政治家の関与・指示等は一切ありません」という発言である。

   早く本件の幕引きを計りたいとするサイドにとっては、「後押し」の

   発言として捉えたであろうが、私はこれで益々「事の重大さ」が

   増すのでは、と感じた。

   即ち、政治家が関与して、スジを曲げるような事は厳しく追及

   すべきだが、今回それ以上に問題にすべきは、この発言通りで

   あるとすれば、「政治家の関与・指示が一切ない」事を、官僚が

   勝手に「公文書」に手を加えるまでの事をやったという事の

   重大性である。

   「森友問題」は、所詮大量処理案件の1つに過ぎないが、当該

   大臣も知らない(という)公文書の改ざんを官僚が勝手に行う

   事は、大きくいえば、国家体制、機構としての重大問題では

   ないか。

   外交や防衛関係の公文書を官僚が勝手に改ざんしていたら

   どうするのか。

   当該大臣が、「一部の官僚が勝手にやった事、適正に処分した」

   として、収める問題ではない。

   少なくとも、「原因の追究」・・・「それが解れば苦労しない」が

   ここは1つ、今後の対応策の為にもひと苦労願いたいものである。

 

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