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小言を言う自由(2)

    前回の寄付金の配分等に関して、ある方から貴重な意見を頂いた。

    私も全く同感の思いなので、主旨を記させて頂く。

      軽々に疑うというレベルの話ではないが、様々な大災害等での

      善意の寄付金の処置については、結構複雑な問題が多い。

      まず、一定の短期間で集まるものではなく、何か月もあるいは

      半年以上にも続いて続々と届けられるものである。

      という事は、寄付金の総額が定まらない状況で有効活用

      (配分)を実行していかなければならないという実情。

      一方で、出来るだけ速やかに現地に届け、役立させて頂くという

      使命を帯びているという現実。

      さらに、通常寄付金取り扱い母体が、直接個々に届けると

      いうことは現実的でなく、規模(金額)が大きくなるに従い、

      二重、三重に中間的役割を担う人達(組織)が間に入り、

      夫々の段階でも配分が決められるという現実。

      これらを総合的に勘案すると、寄付金の公正・公平かつ

      有効な配分(使途)については、我々が考える以上の

      相当高度のノウハウなり、適正な基準設定が必要となる。

      果たして、現実はなんら問題なく有効に機能しているので

      あろうか。

      繰り返すが、軽々な疑いということでもなく、現実問題として

      「入り」は容易に把握できるが、「出」の方は、企業の

      決算報告のようにはいかないということだけでも

      なんとなく理解できる。

      それだけに、後は 善意と信頼性の国民性・・という事

      になるのだろう。

         - - -

  ジャーナリスト

    スポーツ界、大学運営、官僚社会等々 昨今の様々な

    問題発生に伴い、その分野での専門性の高いジャーナリスト

    とかコメンテーターとかいう肩書の人達の解説なり意見を

    テレビ等で聴くことが多くなった。

    それはそれで得るところもあるのだが、「一寸待てよ!」と

    感じることも近時益々増えてきている。

    夫々の問題について、たとえばテレビという公式の場で、

    ジャーナリストとしての立場で発言するのであれば、少なくとも

    現場把握や、可能な限り当事者や関係者等に対する直接

    取材等を通じての事実確認は必須かと思うのだが、中には

    明らかに我々と同レベルの2次情報や3次情報に踏まえた

    「想像」や「推論」レベルの発言が多すぎるように思う。

    確かにその分野においての過去の蓄積は豊富かもしれないが、

    それを踏まえての発言では、テレビ等の社会世論への影響力を

    鑑みると一寸考え込んでしまうのである。

    厳しい言い方をすればジャーナリストとしての精神、プライドの

    問題でもある。

    さらに言及、小言を続けさせて頂くならば・・・

    これはある大学教授が新聞に記載されていたことでもあるが、

    たとえばボクシング協会における不可解な判定問題、

    これも恐らく現場には、常に多くのスポーツ関係者や、

    ジャーナリスト等々が居合わせていたであろうが、その時々の

    時点で問題提起した人は誰もいなかったという現実。

    問題が世間的に大きく取り上げられた後で、「そういえば・・」と

    詳細に解説されても有難味は皆無である。

    改めてジャーナリストの使命とは何ぞや!である。

    さらにいえば、極く一部だが、特定の立場の「代弁者」的な

    ジャーナリストも見かける。

    それが進むと、ジャーナリストとしての我が保身や忖度の

    見え隠れする解説や意見になる・・・・最早論外。

    最近感じることのほんの小言である。

 

 

 

 

 

 

 

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