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大器・小器

    世の中には、如何にも「器」が大きいと感じさせる人が

    いるものである。

    逆に、如何にも小心者で「小さい、小さい」と思わせる

    人もいる。

    文字通り、 人 さまざま の世の中である。

    この「器」も、その意味合いを、改めて考えると、これが

    案外難しい。

    まあ。常識的な線で、「清濁合わせ呑み込める度量(の大きさ)」

    とでもしておこうか。

    いづれにしろ、「器」は理屈抜きに 大きい方がいい。

    小さな事をいつまでもグダグダと・・・(いかにも器の小ささを

    感じさせる)所作は嫌なものである。

    やはり器は大きい方がいいのである。

      - - -

    その事を踏まえた上での話だが・・・、

    70代半ばになって、一寸偏見というか、諦観というか、

    変な考えが頭の中に芽生えはじめている。

    器の大小で一喜一憂、右往左往する事もないじゃないか、

    人間、別の意味で、ひと さまざまでいいじゃないか、

    というわけである。

    人夫々に、その人に与えられた役割や人生のポジションが

    ある。こう考えた方がなんだかゆったりとした気分になる。

    器だって人夫々、 器の小ささだって愛嬌の1つ・・・と。

       - -

    西郷隆盛という歴史上の人物がいる。

    如何にも器の大きいと思わせる代表的な傑物である。

    が、こういう人物は、万に1人で十分なのである。

    激動の時代には頼りになる人物だが、平時、隆盛の

    ような人物がゴロゴロいるような世の中なんて、

    安寧に住みづらく、面白みに欠けるような気がする。

    ・・・なんて、やはり歳の所為なのであろうか。

       - - -

      「 器は大きければ大きい程 いいとばかりに

        どんぶり茶碗で  酒を呑む  無粋者  」

      酒は 小振りの ぐい吞みで

      肴は 蛸刺しか 薩摩揚げでも あればいい

      人間の器の大小、 必ずしも  美意識や

      機微の濃淡には比例せず。

             これも 小心者 老境の自己弁護。

 

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