文化・芸術

ポーランドのポスター

   ムサビ(武蔵野美術大学)の芸術祭には、毎年ふらっと

   出掛けるようにしている。

   今年も最終日、少しの時間、作品群を見て回った。

   と言っても、熱心な鑑賞者というわけでもない。

   正直、今どきの若者の作品は、私には「前衛」過ぎて、

   今一つ、こころに届かない。

   勿論、レベル云々より、当方(世代感覚?)の所為。

   それでも、中にはふと立ち止まって 気になる作品がある。

   どういうわけか、大概は女子大生の作品。

   学生の男女比がどうなのか、知らないが、ここでは

   すでに「女性活躍」が結構進んでいると観た。

   と言ってもあくまで小生の主観。

   さて、同時期、学内で

   「ポーランドのポスター フェイスあるいはマスク」 展を

   やっていた。

   これがなかなかの「拾い物」

   西洋のポスターと言えば、ロートレック位しか

   思い浮かばず、あまり馴染みが無かったが、

   今回、まとまってポーランドのポスターを見る機会を得、

   興味を持った。

   「1枚のポスター」も、時には世の中に多大に影響を与える

   力があることを改めて思い至った。

   参考までに、同展のパンフレットより、一部抜粋させて

   頂く。

     「戦後、新しい社会体制となったポーランドでは、

      ポスターは宣伝告知の役割のみならず、共産主義下

      の検閲や監視を潜りぬけて、政治や社会に対する

      不満、不安を暗に訴える手段となり…(略)

      ・・・その絵画的表現は、人々が共有する記憶や

      欲望、不満、そして歓びを・・・  描き出しました。」

 

50年の歳月

   過日、頂いたあるメールに「氷点」のことが綴られており、

   強く目に止まった。

   氷点は、三浦綾子が初めて世に出した小説の題名である。 

        1964年7月10日

          「氷点」が朝日新聞懸賞小説で1位入選。

          今から丁度50年前のことである。

   クリスチャンの作家として、人間の原罪をテーマとした

   極めて重厚な作品であったが、新聞小説として発表されて

   いる段階から、じわじわと話題が高まり、ベストセラー、

   その後も映画化やテレビドラマ化で人気を博したことは

   年配者には周知の通りである。 

   私も丁度、先行きの定まらない茫洋とした20歳の頃で、

   今も、印象に残っているなかの1冊である。

   今回、受け取ったメールに触発されたかのように・・・・。

   50年振りにこの本を手に取った。

   流石に、ディテールは、記憶が薄ぼんやりと抜け落ちて

   いる部分もあったが、作家が意図する本筋はしっかりと

   確認しながら読むことができた。

   細かな読後感は略すが、

   少なくとも、20歳と70歳、50年の歳月を経て、

   1冊の本を読む。

   この勧興は、格別の味わいであった。

   ただ、三浦綾子の作品については、どういうわけか、

   必ずしも熱心な読者ということでもなく、今まで

   2冊程度しか読んだことがない。

   偶々の巡り合わせか、最初の作品(氷点)と最後の

   作品(銃口)である。

   2冊ともこころに残る作品であったことは言うまでもない。

   このブログを記している日。

   偶々、付けていたラジオが、偶然にも、今日4月25日は

   三浦綾子の誕生日と告げていた。

   あたかも私にだけ教えるかのように・・・・。

   不思議な偶然というものがあるものである。 

      付記

       「氷点」のキーマンともいえる人物に「佐石土雄」

       という人物が出てくるが、この奇妙な名前を付けた

       作者の意図を今回初めて知った。

       人間の原罪に関わるアダムとイブ。

       その「アダム」のヘブライ語か何かの意味が

       「土でできた人」とか言うそうである。

                                   以上

 

 

 

先人の碑

   芸術や芸能、どの分野においても、

   その世界で引き継がれてきた先人たちの、形や実績を

   如何に学び、それを守り,継承していくかは極めて重要な

   要素である。

   と、同時にそれらを血肉としたうえで、さらに創意工夫を

   怠らず常に新たな領域に挑戦し続けるという柔軟性。

   この二つの要素がバランスよく発揮されてこそ「伝統」という

   価値が認められることになるのであろう。

   片方でも欠けると、いつのまにか衰退の道を歩むことは

   よく実感させられることである。

   「歌舞伎」の世界は、まさにその「伝統」の地位を

   しっかりと守っている芸能ではないだろうか

   従来からも、歌舞伎役者がテレビ、映画、舞台等幅広い

   分野に進出、基礎の出来ている演者として、その存在が

   貴重で高く評価されていることは周知の通りである。

   昨今、先人の教えや修業の経験もないままに、ただ

   売れんがためのモノ珍しさが受けて、テレビを席巻して

   いるようなタレント(芸人)が多く見受けられるが、

   「深み・厚み」に欠ける人ほどすぐに消えていくことも

   また実感するところである。

   新装の歌舞伎座が完成して約1年。

   歌舞伎といえども、益々早くなる社会変化のテンポの中で

   少しでも安閑と気を緩めるとたちまち衰退の道を歩むこと

   になる。 歌舞伎も決して例外ではないだろう。

   そうした中で、ある日 新歌舞伎座の屋上庭園を覗いた

   ことがあって、そこに「先人の碑」をみた。

   脈々と続く歌舞伎の伝統の重みを感じた次第である。

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