日記・コラム・つぶやき

至福の時間

    過日、京都にて

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     大宮・仙洞御所を見学する機会を得た、その日の午後

     京都のある有名な名曲喫茶店に。

     偶々 談話室は我独り。

     中央の席でゆったりと熱いコーヒー。

     部屋に流れるBGMに 耳を傾けながら・・・・。

     これ以上、何の説明も不要であろう。

     ただ静かに至福の時間を過ごすだけである。

 

「幸福」のフアンタジー

      {貴方は 「幸福」 ですか?}

      と、問われたら 貴方なら どう答えますか。

       多くの 日本人は 「まあまあ」 と 答えるらしい。

      「幸福」 の感覚には、国民性や風土が色濃く反映する

      ようですね。

      そもそも 「幸福」に絶対的な指標なんてありません。

      「幸福」は 人 夫々の感受性。

      「まあまあ」と答えられる日本人、総じてまあまあ幸福な

      国民なのかもしれませんね。

         - - -

      人は皆、意識をしていないのだが、「幸福行きの列車」に

      乗っています。

      でもこの列車は 永遠に 「幸福」には着きません。

      それでも 一生懸命 「幸福」目指して走り続けます。

      永遠に幸福には辿り付かない・・・列車に乗り続けて

      多くの人達は一生を終えます。

      中に、目端の利く人達が、そんな列車に見切りを付けて、

      途中下車します。

      どちらが「幸福」なのか・・・誰にも解りません。

      そもそも 「幸福」って どういうものなのでしょうね。

        - - -

      「3月20日」 我が国ではあまりマスコミも大々的に

      取り上げていませんがこの日は 「国連世界幸福の日」

      なんだそうです。

      毎年、「世界幸福度ランキング」(米国コロンビア大学が

      国連より委託され調査)が発表されます。

      いわゆるアンケート調査によるものであり、

      その指標は次のようなものです。

        1人当たり GDP

        社会的支援(困った時に頼りになる親戚や友人がいるか)

        健康寿命

        人生選択の自由度

        寛容性 (チャリティなどへの寄付有無)

        社会の腐敗度

      2018年の結果によると、日本は54位(150余国中)。

      これをどう見るかは、面白い処です。

      因みに主要順位は次の通り。

            1 位    フィンランド

            2      ノルウェー

            3      デンマーク

            4      アイスランド

            5      スイス

            18     アメリカ

            54     日本

            57     韓国

            59     ロシア

            86     中国

      一応、興味深いデータだが、例えば日本の場合も

      アンケートに対して「まあまあ」のお国柄、あまり

      一喜一憂することもないと思うのですが、如何な

      ものでしょうか。

         - - -

      さて、結局の処、 「幸福」とは?

      いい加減な人間が、いい加減なことは言えません。

      ここは、先人のお言葉をお借りして一応の

      「中締め」とさせて頂きます。

          「 苦楽は こころの 持ちようなり

            日々 わが身の幸福に感謝して生きよ」 

 

 

 

 

 

 

光陰早や(は矢)

   今年も早や折り返しの6月。

   と、 毎年この頃になると 同じセリフが頭を過る。

   歳の所為・・と 感嘆するのも いつもの事である。

   それにつけても 月日の過ぎ行くこの速さに驚くばかりなり。

     - - -

   さて、歳とともに、この過ぎ行く月日の速く感じるのは

   何故なのか。

   世に諸説あるようだが、 私が最も感覚的にしっくりくるのは

   たとえば・・・

     同じ1キロの道程を歩く場合も、初めての道は

     なんだか、遠く 時間も掛かるように感じるものだが

     毎日のように歩き慣れている道だと、同じ1キロでも

     近く、時間的にも早く着くように感じるものである。

     人生も然り  ・・・ というわけである。

   錯覚も含め、歳を重ねることによって、いわゆる「未知」

   の出来事が少なくなり、なんとなくアレもコレも知っている、

   経験していると、無意識的に軽く流していることが多くなる。

   で、時間(月日)が速く過ぎていく(ように感じる)というわけで

   ある。

   人生のベテランの証左として、自信を持っていいわけだが、

   今少し 若者時代の感覚を取り戻したいという御仁には、

   先人の次のような教えがある。

    「歳を経ても 常に新しい事にチャレンジする精神を持て」

   言葉として得ても、身体が受け付けない・・・で、

   現状 人生のベテラン振りを発揮しているという次第。

   さて、ご同輩は 如何でございますか。

 

ある体験

   「方向感覚」は、人並みに有る、と自負している。

   初めて訪れる場所でも、大きく方向を間違えたり、捜しあぐねる

   ことはあまり無い方である。

   ところが、過日 とんでもない体験をやらかしてしまった。

   ある駅を降りて、目的地(駅から1キロほど歩いた処)の方角に

   歩き始めたのはいいのだが、折り曲がる道をついうっかりして

   間違えたのか、そのまま道なりに進んでしまったのである。

   (東京の道路事情は、1つ道を間違えると方向が大きく違って

    くることが大きな特徴)

   なんとなく変と感じ始めたが、すでに1キロ近く歩いている。

   さあどうする!

   はっきりと間違いと確証を得られない状況で、元の道を駅まで

   引き返す気にもならないものである。(すでに相当歩いている!)

   ままよ、「もう少し歩くしかない」と結論付けた。

   勿論、なんの根拠もないままの決断である。

   (少し言い訳すると、運悪く人家、人通りの全くない道路である)

   案の定、いつの間にか目的地とは逆方向にどんどんと歩いて

   いたのである。

   結局、そのまま逆方向にある駅に辿り着き、そこから電車で

   元の駅に戻るというテイタラク(苦笑)

     - - -

   さて、転んでもタダで起きない・・・これからが本題である。

   私は、何故「何だか変」と思いながらも、その道をそのまま

   進んでしまったのであろうか。

   と、ここでふと、 そう言えば あの「悪質タックル」。

   何故、あのような事が生じてしまったのか。 

   全く次元の異なる出来事だが、根っこで結び付く何かが

   あるのではないだろうか・・・・。 と思った次第である。

     - - -

   聞き齧った程度の理解だが、心理学に「トンネル理論(効果)」

   というのがあるらしい。

   専門家からは、不正確と言われそうだが、要するに、例えば人は

   トンネルのような限られた環境、境遇、空間に追い込まれた場合、

   なんだか変、と解っていても、今まで進んできた方向に歩みを

   進めてしまう心理(状態)という事らしい。

   折角今迄トンネルの中を手探りで進んできたのを、途中で逆方向

   (今まで来た道)に引き返すのは、相当の勇気と決断を要す。

   第三者は何故?と疑問に感じる事も、当事者にとっては、人が

   思うほど容易なことではない・・・とする心理状態 の由である。

   私の先の愚かな体験も、 正しく実感!である。

   転んでも・・・今ではいい経験と思うことにしている。

   「悪質タックル」問題も、なんらかの関係があるのかもしれない。

   トンネルでの出来事も その後の感応、態度如何で、トンネルから

   明るい地上に浮かび上がることも、逆にトンネル内に埋まったまま

   になるのか、正しくヒト様々・・・そんな事を考えさせられた。

 

 

 

 

小さな器

   池波正太郎のエッセーに 「一升桝の度量」というのがある。

   所詮、一升ますには、一升しか入らない と極く 真っ当な

   話である。

   が、 世の中には、この一升桝に、 二升や三升を詰め込もうとして

   様々な副作用や、周りに迷惑を与えている例が多い、と

   いかにも池波流 ピリリと「にらみ」を利かせた話である。

     - - -

   言われてみれば、 成る程 昨今の世の中見渡してみれば、

   御大層な肩書にあり付いたが故に、 自らをそれに相応しい

   器の持ち主と錯覚したり、 それに相応しい外見をと、背伸び

   し続けているのが見え見えの滑稽な輩が、やたら目立つのは

   どうしたことか。

   確かに「地位や肩書がヒトを創る」面もあるだろうが、

   誰もが・・ということこそ 残念な錯覚。

   そういう輩にかぎって、 周りから適格な指摘を受ければ

   受ける程、バリアを張り、それこそ知性、品格をどこかに

   置き忘れて、声高、上から目線で保身に走る。

   器はうそつかない。 正直である。

     - - -

   そう言えば、 佐藤優氏も 「実証性や客観性を軽視もしくは

   無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」の

   反知性主義者が横行している、と指摘されている。

   なんだか、根っこは同じような気がする。

   権力、権威に胡坐をかいているような人々にも 要注視の

   世の中である。

 

 

川中島「辞世」合戦

    ある本に上杉謙信の「辞世」が出ていた。

    次のようである。

      「   四十九年   一睡の夢

          一期の栄華  一杯の酒  」

    如何にも戦国武将らしい 簡潔にして 潔い 達観ではないか。

    因みに 謙信 49年の 生涯であった。

       - - -

    謙信とくれば、 さて武田信玄は?・・となるは必定。

    どうやら 次のようである。

      「  大抵還他肌骨好  不塗紅自風流  」

      (大抵は地に任せて 肌骨好し紅紛を塗らず自ら風流 )

    勝手に超訳すれば、 「世の流れに身を任せ 本音で生きるが

    風流」 といった処かな?

    世が世なら天下を取っていても不思議ではない、大物の

    風格といったものを感じる。

    因みに 信玄  51年の 生涯であった。

     (3年間 喪を秘す・・・ 黒澤明監督 「影武者」 )

      - - -

    さて、 この両雄夫々の 「辞世」 どちらが

    現代人の胸に染みるか・・・・。

    個人的な好みから言えば、やや謙信の「一杯の酒」に

    軍配を挙げたい処だが、 両雄はやはり並び立たず

    ここでも 「引き分け」ということにしておこう。

世相を読む

   昨今世間を騒がせているアレコレについて、私なりに

   概観すると、1つの共通点を感じるのである。

   それらの多くは、「旧態依然」の組織や体制から生じている

   という点である。

   相撲協会然り、レスリング協会然り、まして況や「政界」然りである。

   これらの組織や体制は、「既存の形」を守る事こそが正義であり、

   王道であるという点においても共通の要素を有している。

   ところが、そこから生じる確固たる「価値観」「倫理観」が、

   現実世間の「空気」と馴染まなくなってきている。

   そのことが、「アレコレ」の背景にある根深きモノ。というのが

   私なりの見立てである。

   その事をより深く検討する際のキーワードは「情報化社会」の

   熟成あたりにあるのではないだろうか。

     - - -

   たとえ話、として相撲協会における過日の「土俵と女性」問題。

   従前からも問題になっているテーマだが、協会内の人達に

   とって、まさかこんなに大きな問題になるとは・・・というのが

   本音ではないだろうか。

   正しくそれが、「情報化社会」に対応しきれていない「旧態依然」

   の証左とはいえないだろうか。

   確かに、ひと昔前なら、地方巡業での出来事など、たとえ

   ニュースになっても2,3日で通り過ぎるようなものだが、

   今や、即刻全国に流れ、連日テレビのワイドショウ等で

   詳細に触れられるご時世である。

   ある責任ある理事が、「トイレに行っていて・・」という会見も

   すぐさま別の画像や動画が全国に拡がるご時世なのである。

   この現実こそ「情報化社会」の良い処でもあり、怖い処でもある。

    - - -

   政治の世界においてもその様相は同じである。

   国民の民度が向上しているかどうかは定かではないが、

   少なくとも、国民ひとりひとりが入手する「情報」の容量は

   ひと昔に比べ格段に大きい。

   このことを政治家は、しっかりと弁える必要がある。

   「旧態依然」の感覚・感性で、 この程度のことは・・・と

   従来と同じ手法で軽く取り扱うと足を掬われることになる。

   「情報化社会」は、政治家がついうっかりと本音を漏らした

   ひと言でも、瞬時にキャッチし、それを全国に発信する強力な

   「力」を有している。

   今や政治家にとっての強敵は、ライバル政党以上に、

   「情報」によって敗北する時代、とも言えるのではないだろうか。

   逆に、「情報」を味方?にすると強力な力を発揮することになる。

   そういう目で、アレコレの世相を眺めていると・・・

   新たに見えてくるものがある。

 

 

 

2018年・桜

      2018年3月24日 東京千鳥ヶ淵  桜見頃なり。

      雑踏から逃れ、特別指定席(?)から、眼下の千鳥ヶ淵。

      見事な景観!

      黙して 写真のみ掲げる。

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       - - -

    丁度この日から皇居一般公開(坂下門→乾門)。

    大勢の行列に塗れて桜を観る程の事も無し。

    皇居は、日を改めて入れてもらうこととし、

    人の流れを横目で見ながら、帰路 近代美術館に立ち寄る。

    本日も晴天なり。

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      (皇居一般公開の行列)              

                                      了



















角界・異界

     大相撲も大変な様相。

     それなりに私見は有しているが、特定の論陣に

     加わる趣味はない。

     遠くの方から眺めているだけである。

     それよりも・・・・

     土俵の上では、今場所9日目終了現在、ある注目すべき

     状況に。

        鶴竜     9勝0敗     (モンゴル)

        栃ノ心    7勝2敗     (ジョージア)  

        魁聖     9勝0敗     (ブラジル)

        碧山     7勝2敗     (ブルガリア)

     すでに当たり前過ぎて ニュースにもならないのか

     現状、優勝争いに絡む日本力士は皆無である。

     文字通り 「国際試合}の様相!。

     多々思いはあろうが、これがグローバル世界、

     我が大相撲の現実である。

     こうした国際化の流れのなかで、中小企業の

     「親方」達は どう対応するか、あるいはするべきか。

     先人から引き継いだ 伝統、文化を守って現状の

     競争に立ち向かうか

     それとも、割り切って時代に即応した戦略・戦術で

     立ち向かうか。

     角界も正しく 今その岐路に立たされている。

         角界関係者の皆様、土俵の上の方が

         どんどん先に進んでいきますよ。 (ほんの私見)

 

 

 

平地族

    この世に生まれて70余年。

    海を渡って海外に出掛けたことは、数える程しかないが、

    国内は、都道府県ほとんど踏破!している。

    これでも結構 「横」 には強いのである。

    が、その分 「縦」には からきしダメである。

    富士山の登頂はおろか、そもそも自分の足で、2千m級の山に

    登ったことは記憶にない。

    山は精々千m位までのハイキングレベル。

    海も、泳ぐことは出来ても、精々海抜以下1m程度まで。

    流行りのダイビングといった高尚な趣味は持ち合わせていない。

    という事は、この半生 一定のゾーンの範囲内で生息して

    いたことになる。

    これを称して 「平地族」と呼ぶことにする。

       - - -

    「縦」に弱いということと、微妙に相関関係があるのかどうか、

    今まで、いわゆる「タワー」というところに昇った事がない。

    東京タワー 京都タワー 通天閣 然りである。

    スカイツリーも「サラサラ」

    別段、拒絶していたわけではないが、どういうわけか

    その機会がなかった、という事か作らなかったという事

    なのであろう。

    せめて手短かの東京タワー位は、元気で東西南北が

    知覚できるうちに昇って置きたいと思っているのだが・・・。

      - - -

    面白い事に、タワーは皆無だが、城の天守閣は「別腹」の

    ようである。

    恐らく今まで全国の城、30程は訪れている筈である。

    天守閣があれば、必ず昇り、そこからの景観を楽しむ。

    「平地族」だって、「縦」の良さ位は解っているのである。

    因みに今は幻の「安土城址」まで訪れた事がある。

    単なる城好きということなのかも・・・。

      - - -

    高さつながりでさらに話を続けると・・・・

    子供が小さかった頃、遊園地で観覧車にはよく乗った。

    が、ジェットコースターには乗ったことが無い。

    横に移動する乗り物は好きだが、「縦」はいけませんや。

    なんとか大人の理屈をひねって、お前たちだけで乗ってこい

    というわけである。

    で、未だに乗ったことはないし、これからも恐らく乗る事は

    皆無であろう。

      - - -

    中年の頃、仕事である工場を見学し、実験塔(高さ20m位)

    の上までエレベーターで案内されたことがある。

    エレベーターから出た途端、そこは何もない5m四方位で、

    周りに高さ1mの処に鉄の棒で囲っただけのいわば「天空広場」

    2,3歩で足がすくみ、すぐにエレベーターに戻った記憶がある。

    遥か遠くの下方に米粒程度の車が連なっていたことを覚えて

    いるのみである。

    メンバーのなかで、その鉄の棒の処まで歩み寄り、下を

    覗き込んでいた豪傑がいた。

    恐らく 「高地族」なのであろう。                 了。

 

 

 

 

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