経済・政治・国際

大臣の資質

      -  末は博士か大臣か -

   最近、同世代の連中が集まる席で、偶々政治の話題になる事が

   あるが、政治信条の立場は夫々であったとしても、必ずといって

   いい程、意見が一致するのは、「最近の大臣はレベルが低い」と

   いう事である。

   勿論、中には立派に大臣の職務を果たしている人も居るのだろうが、

   一方で、「何故この人がこの所管の大臣?」と思われる人が何人か

   「紛れ込んで」いるのである。

   そして、そういう人に限って、予感!通り、失言や失態をやらかす。

   恐らく、適材適所なんて事よりも、当選回数とか、派閥からの

   推薦等が優先するバランス人事の所為なのであろう。

   さらに厳しい見方をすれば、大臣の候補者集団(政治家全体)

   自体のレベルが低下しているという事もある。

   そのレベルが高ければ、誰を選んでもなんとか恰好は付くのだが、

   肝心の政治家のなかには、「何故この人が政治家?}という人が

   結構混ざっている程の人材不足。

   その中から選ぶのだから、選ぶ方も大変である。

   国民の生命や財産に関わる仕事は、それなりの試験や資格を経て

   その職務に従事している。(医師、弁護士、税理士など)

   ところが、政治家の場合、(厳しい選挙を経てきたとはいえ)当選の

   会見で、○○についてはこれからしっかり勉強する・・で通用する。

   (余談だが、国会議員に対して○○チルドレンという名称も、別段

    抵抗なく世間で受け入れられている・・・?)

   日頃、国民の生命・財産を守るのが政治家としての最大の責務、

   という議員諸氏の話をよく耳にするが、現状の大臣レベルを

   鑑みるに、政治家としての資質・能力について、改めてメスを入れ

   なんらかのシステム(制度)化が必要ではないか、と思うのである。

   この点についてある人が面白いアイデアを提案されている。

   選挙で初当選した人は、一定期間インターン(研修)制度を設け、

   そこで政治家としての専門的な勉強・復習・整理(国会の主要制度・

   議員に関わる主要法律・外交・防衛・予算等)を習得。

   その後(状況により試験実施)正式に議員として就任、その間は

   生活支給程度。 但し知事・市長等の経験者は免除。

   やや面白半分の提案としても、結構いい処を突いているではないか。

    ー - -

   明らかに大臣として不適格と思われる重大な過失や失言があった

   場合、その大臣の交代については、本人が自ら辞任するか、

   総理大臣が罷免するかである。

   因みに憲法では次のように定めている。

     憲法68条

      ① 内閣総理大臣は国務大臣を任命する。但しその

         過半数は、国会議員の中から選ばなければならない。

      ② 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免できる。

   現状のこのルールで、少し問題になる点は、いくら国民の多数が

   あの大臣は不適格、止めさせるべき、と考えても結論的には

   総理の裁量1つということである。

   総理としても、自ら任命した大臣であるから、なんとか理屈を付けて

   穏便に済ませたいとするのは、ある意味自然な力学である。

   そこで、なんとか辞めさせたいとする一方の「力」は、やむなく

   次善の策として「任命責任」を持ち出すことになる。

   でもこの「任命責任」策も、冷静に考えてみれば、 なんだか、

   当事者(当該大臣)を脇に追いやって、 任命者(総理)との

   国会でのやりとりを聞いていると、なんだか空しい「茶番」に

   見えてくるのだが、如何なものであろうか。

   もっとストレートで合理的な正否のシステムなないのだろうか。

     - - -

   最近の憲法見直し論争も、なんらかの思惑があるのだろうが、

   特定のテーマだけを優先的に取り上げて騒ぎ立てている感が、

   無きしもあらずで、やるなら全般的に、時代に即応した

   政治体制関連あたりから、衆知を集めて議論してもらえば、

   我々庶民も「憲法」にもっと関心を持つようになるのだがと

   昨今の政治レベルを横目で見ながらの素人的感想である。

 

 

 

薄れていた記憶

   ある本を読んでいて、突然遠い記憶にあった名前に

   出くわした。

   「新井将敬」である。

   今では 知っている人も少ないであろう。

   私も、そういえば・・・という程度の認識の人である。

   が、 なんとなく気になったというか、好奇心に駆られて

   改めて新井将敬をネットで調べてみた。

   彼の経歴は、概略次のようであった。

      1948年生れ 在日 16歳の時日本国籍(帰化)

      大阪北野高校から東大卒。 新日鉄から大蔵省、

      渡辺美智雄の秘書を経て国会議員4期

      1998年 利益供与の疑いで 自殺(50歳)。

   少しづつ記憶が蘇ってきた。

   確か、母親が、息子に対する疑いに対して

   「何故息子だけが・・・政治家として誰でもやっている事

   何故?・・・」と訴えていたことをうっすら覚えている。

   (その背景に 在日 ということがあったのであろうか)

   自殺そのものにも、当時からなにかと疑惑の声があり、

   今も、自殺は疑問とする立場の人もいるようである。

   彼の政治家としての思想・信条について、よく知っている

   わけではないが、大蔵官僚から渡辺大蔵大臣(当時)の

   秘書官というコースを見る限り、ある程度、立ち位置が

   想像できる。

   が、彼の特質は、しっかりと自分なりの意見を持ち、

   党内にあっても言いたいことは言うというイメージが強い。

   そういった事から、若手政治家のなかでは論客として

   テレビ等にもよく出ては、メリハリのある発言をしていた

   ように思う。

   在日という当時のハンデある立場ながら、東大から大蔵省

   国会議員のコースを見る限り、相当の努力と有能さが

   覗われる。

   政治的立場はさて置き、50歳の若さで自らの命を絶った

   有能な政治家がいたということを改めて思い起こす事も

   無駄ではないような気がしてきた。

   特に、昨今の若手政治家の相対的劣化を思う時、

   果たして今、自分なりの意見を自分の言葉で、解り易く

   世間に訴える政治家は何人いるだろうか。

   精々、小泉進次郎を思い浮かべる程度ではないか。

   そんな事を、薄れつつある記憶のなかで考えさせられた

   事であった。

 

 

今日のひと言

   「市長は支持者だけの市長ではなく、自分に投票

    しなかった人にもよき市長でなければならない」

                       (ある新聞記載の文面より)

   何気ない一文であるが、ふとこころに残った。

   衆議院選挙が近いということもあるのだろう。

   昨今の国会議員の言動を見るにつけ、余計にこの一文が

   重みを増すのである。

   支持者や支持団体しか目に入らない「御身大切」の

   議員(候補者)が多過ぎやしないか。

   確かに「当選しなければ話にならない」ということもよく解る。

   だが、人間なんて所詮弱いもの、結局当選してからも

   その「根性」は修正出来ず、引き摺っていくのが人間。

   いままでの1,2回生議員をみているとよく解る。

   国会議員を目指す人がまず基本にすべきことは、

   国や国民の為の政治、国会議員の第一条である。

一市民の「民主主義論」

   総理の「こういう人たち・・」と言う発言については、

   すでに様々な批判や擁護論が出回っており、

   追随的に触れることは避けるが、

   一連の「騒動」のなかで、一寸気になったことは、

   これに関わる官房長官の「言葉」の方であった。

   即ち、「全く問題ない。 民主主義だから発言は自由」

   というものであった。

   ここで「民主主義」という言葉が出てきたのである。

   勿論、「民主主義→発言の自由」という論理は全く

   その通りであり、間違ったことを言われているわけではない。

   が、なんとなく私には違和感が残ったのである。

   それは、いわゆる政権を担う立場(権力者)側からの

   発言である故での戸惑いということに思い至った。

   「民主主義」というのは、単純、素朴に時々の権力

   にも自由にモノが言える社会、と受け止めていたので、

   改めて政権を担う立場の人から民主主義云々と

   言われて なんとなく「?」と感じた次第である。

   勿論、総理といえども、1私人の立場においては、

   発言の自由はあるが、公人としては・・・・ 果たして

   如何なものであろうか。

   (余計なことながら、「国会審議」での議員の発言に

    ついては、責任を問われないという法律あり)

   今回の政府中枢の発言を機に、「民主主義とは何か・・」

   と少しばかり考えさせられたではありませんか、

   官房長官殿!

 

不可解な局面

    なんだか世の中変である。

    将棋の世界では、素晴らしい天才が出現したが、

    政治の世界は、正に異常局面。

    別段「アンチ・あべ」 というわけではないが、

    流石にこのところの流れはなんだか変である。

    民間企業等においても同様だが、「公平・公正な

    ジャッジメント」は、周りの人達から信頼や信用を

    得られるための大きな要素だが、その肝心な

    ジャッジメントにひずみが生じてきている。

    人は、不公平な取り扱いには、最も敏感に拒絶反応を

    起こすものである。

    例えば今回の防衛大臣の発言とその処置。

    仮に、自衛隊幹部が同じような内容を公けの場で

    発言すれば、即アウト、何らかの処置は不可避で

    あろう。

    その際、大臣は「誠に遺憾、厳重注意」する立場である。

    が、現状本人の場合は、「撤回」・・・で、という処置。

    これら一連の流れを、多くの自衛隊諸君はどう見て

    いるのだろうか。

    今回の件で、従来政治家の常套セリフ「法的には

    問題ない」から一段レベルアップ?して、「撤回」と

    いう対応策が生まれた。

    この事態は、与野党の立場云々というレベルではなく

    「政治家の信義・政治の信頼」の問題である。

 

 

 

権力小考

   人それぞれ、様々な見方や考え方があっていいわけだが、

   直近の或る週刊誌の見出し、「日本の政治はなぜこんな

   ことになってしまったのか」に、感覚的に同調の思いの人は

   案外多いのではないだろうか。

   その背景は、政策云々以前の問題で、たとえば政治手法、

   国会質疑対応、処理の不味さ、強引さ、言葉足らず、軽さ

   等々、要するに「節度」に起因しているところが大きいように

   思われる。

   今朝のニュースでも、官房長官の談話で、「加計問題は

   たまたま総理の友人で・・・」という表現がなされていた。

   たまたま総理の友人だっただけのこと・・・の説明で「了解」

   となるのだろうか。 

   諸々の意味でなんだか、米国トランプ政権が発進する

   空気と類似するところがあるのがなんとも微妙な話。

     - - -

   「なぜこんなことに・・・」については、左程深刻に捉えて

   いるわけではないが、その原因について、少し考えて

   みると、やや本流から離れるが、2つの遠因が浮かんだ。

   1つが、「小選挙区比例代表並立制」 の導入。もう1つは

   「中途半端な行政改革」である。

   小選挙区制については、勿論利点もあるが、この導入に

   よって、なんだか国会議員が「小粒」になったというか、

   いわゆるサラリーマン化したように思えて仕方ない。

   政党(政権)安定化には働くが、個々の議員にとっては

   不安定化が進み、その分、各議員にどっしりと政策に

   取り組むという余裕が希薄化しているのではないかと

   思えるのである。

   選挙(就職活動)を必死に戦い、当選によって得られた

   就職(議席)をなんとか死守することに汲々。

   長期的視点よりも目先の立場安定が優先で、なんだか

   議員までが、上をみて仕事をする役人かサラリーマンに

   見えてくるのである。

   本来6年間解散もなく、長期的視野で国家の課題に

   取り組むべき参院議員も同様である。

   一方、行政改革については、

   以前、省を統合し、省の数を減らしてスリム化を図り、

   一見行政改革を推進したかに見えたが、左程職員数が

   減少したわけでもなく、無理に「厚生」と「労働」を一緒に

   して「厚生労働省」としたりして、結局昨今は担当大臣を

   増やすことによってかえって組織・機構が複雑になり、

   その結果大臣も省を掌握しきれず、仕方なく官僚任せと

   いうのが散見するようになり、大臣そのもののステータスを

   低める結果となっている。

   これら諸々の事柄から、より権力の一極集中が高まり、

   それが 「なぜこんなことに・・・」に少なからず繋がって

   いるのではないか、というのが私なりの感想である。

   昔、当時のある総理が、オフレコの場で、側近から

   少しやり方が強引過ぎるのではと言われた際、

   その総理は、なかば冗談っぽく「君ィ! それが

   権力というものだよ」 と返した由。

   どこかで読んだことを思い出した。昔の話である。

 

 

 

政治の裏話

   元国会議員の自嘲めいた話に「そうだ議員」という

   言葉が出てきた。

   どうやら、その人の「造語」らしい。

     国会議員を目指すような人は、皆それぞれに

     胸の内に熱き思いや、気概を持っているものである。

     が、実際その世界に身を置くと、政治の現実の壁に

     ぶつかり、いつの間にか、自らの信条・信念は脇に置き、

     党内上層部のご意向に沿って、そうだ! そうだ!と

     叫ぶことが、その人の立ち位置になってしまっている

     議員のことをいう。

   今や、新人が国会議員になるためには、当該政党の

   お世話や支援がなければ当選は覚束ない。

   必然そこにある種の恩義関係が生じる。

   さらに議員になれば、少数選挙制からの上層部権力

   集中を目の当たりにすることからも、ますます

   常に上層部の言動を意識し、「忖度」せざるをえない土壌が

   生まれることになる。

   これらを背景として「そうだ議員」が出現する。

   上層部も、如何に多くの「そうだ議員」を育てるかが、

   直接安定政権に結びつくだけに、利害?は一致する。

   昔の思想対立というよりも、現在の政党は政策の手法

   方向性等の比重でグループ化してきている面が強いだけに、

   本来党内での侃侃諤諤がもっとあって然るべきだが、

   現実は、衰退傾向にある。

   変に党内意向に反対意見をぶつけて睨まれては、

   冷や飯を食らうだけ。

   それが次の選挙に影響となると・・・そうだ!そうだ!が

   無難という空気となる。

   勿論、「そうだ議員」もベテランになると、同じ「そうだ!」

   でも何種類に使い分ける。

   時には、異論を展開して、存在感をアッピールすることを

   忘れない。

   このあたりのニュアンスに長けてくると、次第に国会議員

   らしい雰囲気が身に付きだし、やがて政務官、副大臣の

   ポストも近くなってくる。

   運がよければ、もしかして大臣もという道が開かれる。

   ただ、これらの「そうだ議員」、多くは、議員本来の政策面や

   専門分野での研鑽、切磋琢磨に欠けるところがあり、

   折角重要ポストについても、失言やつまらない行動で

   墓穴を掘り、長年の下積み生活を台無しにするという

   ケースが時折見掛ける・・・という誠に残念な政治の裏話。

   (道半ばで夢破れた議員の話だけに、さてどの程度・・・・)

 

 

 

 

 

論理矛盾

  国有地売却問題

    不動産売買は、通常売り手と買い手双方の意志・同意

    によって成立する。

    もしその売買に瑕疵・不明な点が社会的に問題になれば、

    売り手買い手双方に説明責任を課すのが道理というもの。

    本件、売り手側の当初の説明(国会における財務大臣

    答弁)は、ルールに従い、正常な手順で行われており、

    なんら問題はない、というものであった。

    (その後もそのスタンスは不変)

    それなら、何故「買手側」だけを国会に呼び、証人喚問

    するのか、明らかに論理矛盾である。

    もし、この売買に関連して、買手が不正に補助金等を

    受給しているとすれば、それは別途刑事事件として

    取り扱い追求すればいい事であって、国会で追及する

    のは本来の問題から離れたスジ違いである。

    本件、何かが隠されているのか、全ての対応が

    歪んで見えてくる。

      - - -

  いわゆる忖度問題について

    忖度というのは、論理的に忖度する側の事象であり、

    忖度される側が、あれこれ論じても、本来説得力は

    ないという性質のものである。

    たとえば、忖度される側が、100回忖度されることは

    ありえないと叫んでも、忖度をする側が、1度でも

    忖度しましたと言えば、忽ち打ち消される。

    これが本来「忖度」というものの本質である。

      - - -

 公人か私人かの議論について

    法的には、明らかにする必要性が生じる場合も

    あるだろうが、通常はあまり重要な議論とも思えない。

    総理は24時間如何なる時も 総理である。

    同様に、総理夫人も24時間 「総理夫人」である。

    ただこれだけのことである。

     (但し、総理夫人は公けの責任はほとんどない)

    たとえば、プライベートでデパートに買物に行かれた

    場合、あくまで「私人」だが、店側は具体的な利便は

    供しないとしても、それなりに気を使う(→忖度)のは

    自然の姿である。

    もし仮に、夫人が何らかのトラブルを起こされた場合、

    店側は、出来るだけそのトラブルが表面化しないよう

    対処(→可能な限り隠蔽)するのもある程度自然の

    姿である。それが社会通念というものである。

    表面化して、その時公人だったか私人だったかと

    議論してもあまり意味はない。

    あくまで「総理夫人」 それだけである。

    夫人も24時間 「総理夫人」なのである。

 

 

 

霞が関世情

   どう考えてもなんだか変という、如何にも脇の甘い

   出来事が頻繁する世も困ったものだが、

   締め付けの厳しい窮屈な世の中も勘弁願いたい

   ものである。

     - - -

   経産省が、全ての執務室に施錠し、外部からの出入りを

   規制するとの由。

   確かに官・民に関わらず、一定の情報管理は必要だが、

   「施錠」するまでに至るこの「世情」には驚いた。

   この感性というか、感覚はタダモノではない。

   なんだか変と思っていた矢先、更なる事態が表面化した。

   その施錠された内部で、異様とも思える日本礼賛本

   (世界が驚く日本)や万博誘致の「関西弁報告書」が

   多額の税金を使って、作成されていたとのこと。

   流石にこの関西弁の品性の無さに、大臣も不適切

   だったと即撤回のお粗末。

   さらに付け加えると、この関西弁報告書の作成過程が

   如何にも役所的!

   「博覧会推進室」という立派な部署で、「有識者」らによる

   検討会まで行っていた由。有識者の見識如何(遺憾?)

   さらに制作には、関西弁に「精通」した人も加えたという

   この念の入れよう・・・・でこの有様。

   どこから突っ込まれても釈明できるよう、形式的な

   手順はしっかり押さえるが その結果がこのテイタラク。

   なんだか、時折見かける典型的な役所のお仕事。

   だと思いませんか?

     - - -

   さて経産省の「施錠」のニュースを聞いて、

   思い出した昔話を1つ。

   何十年も前、現役時代のある時期、月に1度大蔵省

   (現財務省)に報告書を届けていたことがある。

   一応正門で、形式的にチラッと社員証を見せれば

   中は自由。

   報告説明も、直接執務室の中に入り、担当官の

   デスクで行う。

   資料で埋まる机、個々に電話中や、打ち合せの担当者。

   それら雑然とした雰囲気のなかで、担当官からの

   質問に答えていた。

   ただ、先客があると、廊下で立ったまま順番待ちである。

   そんなことを今も覚えている。

   天下の大蔵省は、お世辞にも立派なオフィスとは言えず

   比較的出入り自由、雑然とフランクなものであった。

   ただ、流石に大臣・次官クラス(入ったことはない!)の

   部屋の前の廊下は赤絨毯。

   当時経産省も同じような雰囲気と記憶しているが、

   今や その全執務室に「施錠」とのこと。

   官僚の世界が変わってきたのか・・・

   それとも 世の中がそのように変ってきたのだろうか。

 

傍観の合間で

  歳の所為にする訳でもないが、段々と政治や社会問題で

  口角泡を飛ばすような議論をすることも稀になってきた。

  諦観というとなんだか聞こえがいいが、まあ「傍観」と

  いうのが順当なところである。

  それでも時折、「俺にも言わせろ」と思わず言いたくなる

  ような事柄に出くわすことがある。

  最近では 「国有地売却問題」然りである。

  内容そのものについては、理解不能なものも含めて

  アレコレ出回っている途中であり、ここでは控えるとして、

  国会でのやり取りを聞いていて、一寸気になった事を1つ

  だけ取り上げておきたい。

  「官僚たちの答弁」についてである。

  今更青二才的なことを言うつもりもないが、彼ら官僚たちは

  誰のために仕事をしているのであろうか。

  勿論その前に「御身大切」の気持ちは痛い程解るが、

  本件におけるような国会での質疑は、特に国民(主権)に

  よって選ばれた代議員によって経由される、いわば国民の

  「なんだか変」と感じる疑問の集大成である。

  したがって、官僚たちの答弁は、本来国民に向けた答弁

  説明でなければならない。

  が、現状ではその視点が全く欠落しており、解り易く

  事実を説明しようとする姿勢よりも、最初から弁明ありき

  のように聞こえてしまうのはどうしてだろうか。

  官僚とは一体何?と改めて考え込むのである。

    - - -

  官僚のなかには、資質・能力に優れ、人間的にも

  立派な人を多く知っている。

  したがって安易に無責任なレッテルを貼るつもりはないが、

  他面、官僚たちが、実質的、実際的に、この国の在り方に

  大きく影響していることも忘れてはいけないと思う。

  確かにあらゆる決定は、国会等の表舞台で行われるが

  その裏の舞台では、常に官僚が下書き・デッサンを描いて

  いるということを・・・。

  官僚の知的・質的レベルがこの国のレベルにも成り得る。

    - - -

  余談ながら、現在全国地方自治のトップ(知事等)の

  6割以上が官僚出身である。

  それが、いい悪いではなく、彼らのネットワークと

  中央(集権)との結び付きによって、地方自治が機能

  しているというのも「一面」の現実である。

  だからこそ、現役の官僚にも「国民・市民のための仕事」

  を自覚してほしいのである。

  なんだか官僚に対する辛口のコメントになったが、

  本来の職務に邁進してほしいとの願いを込めた

  「エール」でもある。

 

 

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