経済・政治・国際

事の重大さ

   ある事象に対して、その事がどれ程の重大な事か、その影響力の

   大きさがどの程度かを速やかにかつ的確に判断し、その度合いに

   応じて適切な対応が出来ないと、特にリーダーという地位にある

   人々にとっては致命的となる。

   「日大問題」などはその典型例であろう。

   このような視点からも、国家レベルで一寸気になる事がある。

   例の「森友問題」である。

     - - -

   立場(与野党)によって、思う処は夫々であろうが、我々国民の

   立場からは、「真実」が未だ見えず、釈然としないままで今日に至る

   というのが大勢を占めているのではないだろうか。

   国会での論点が、「果たして政治家の関与、指示があったのか

   どうか」に集中した処があり、「有った、無かった」の水掛け論というか

   平行線のままで終始している。

   「真実」はさて置き、そうしたやり取りのなかで、実は重大な発言が

   あった。

   官僚の「政治家の関与・指示等は一切ありません」という発言である。

   早く本件の幕引きを計りたいとするサイドにとっては、「後押し」の

   発言として捉えたであろうが、私はこれで益々「事の重大さ」が

   増すのでは、と感じた。

   即ち、政治家が関与して、スジを曲げるような事は厳しく追及

   すべきだが、今回それ以上に問題にすべきは、この発言通りで

   あるとすれば、「政治家の関与・指示が一切ない」事を、官僚が

   勝手に「公文書」に手を加えるまでの事をやったという事の

   重大性である。

   「森友問題」は、所詮大量処理案件の1つに過ぎないが、当該

   大臣も知らない(という)公文書の改ざんを官僚が勝手に行う

   事は、大きくいえば、国家体制、機構としての重大問題では

   ないか。

   外交や防衛関係の公文書を官僚が勝手に改ざんしていたら

   どうするのか。

   当該大臣が、「一部の官僚が勝手にやった事、適正に処分した」

   として、収める問題ではない。

   少なくとも、「原因の追究」・・・「それが解れば苦労しない」が

   ここは1つ、今後の対応策の為にもひと苦労願いたいものである。

 

倫理観

   我が国も捨てたものじゃない、と (ほんの一瞬のことながら)

   思ったのは他でもない・・・  誠にもって恥ずかしながら

   「国家公務員倫理規程(政令)」という立派な法律の中身を

   最近になって知ったことによる。

   しかも、倫理規定審査会という組織まで在るというではないか。

   我が国も、流石に如才なく「やる事」はやっているのですね。

     - - -

   因みに、この倫理規定の第一条(目的)の文言が素晴らしい。

   おもわず、公務員の人達に教えてあげたい?と思った位である。

   少し長いが全文を記載してみる。

     「この法律は、国家公務員が国民全体の奉仕者であって

     その職務は国民から負託された公務にあることにかんがみ

     国家公務員の職務に係る倫理の保持に資するため必要な

     措置を講じることにより職務の執行の公正さに対する国民の

     疑惑や不信を招くような行為の防止を図り もって公務に

     対する国民の信頼を確保することを目的とする」

   勿論、「教えてあげたい」というのは下手な洒落で、恐らく

   頭脳明晰な国家公務員幹部諸氏は、倫理規定など、丸暗記

   されているに違いない。

   そういえば、憲法にも確か15条あたりで、

    「すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者

     ではない」

   という条文を思い出した。

   この「一部の・・」という表現が、今 なんとも意味深に響く。

     - - -

   ところで、昨今の公務員の言動に対して、政治家からも、

   猛省とか膿を出し切るとかの言葉を聞くことがあるが、

   その事自体勿論賛成だが、一方で、政治家の皆さんの

   「倫理規定」はどうなっているのだろうか

   勿論、個々、個別に様々な法律(ルール)で「しばり」が

   あるのだろうが、「倫理規定」というまとまったものは

   あるのだろうか、もしなければ「櫂から始めろ」じゃないが

   政治家の心得としてまとまったものがある方が親切では

   ないだろうか。

   昨今、「選挙に強く」ても「倫理観は別」という方がちらほら

   おられるようにお見受けいたしますから・・・。

         (付記) ある人に言わせると

         政治倫理綱領 といったものがあるが

         どうやら実態は「ある」ということだけで

         それ以上でもなくそれ以下でもない

         という大人の説明。

 

 

 

 

 

 

 

余計なひと言

   残念ながら未だ直接お見掛けしたこともなく、ご高説を賜った

   ような機会もない。

   氏育ち、華やかな経歴等から察して、さぞかし「人間味」溢れる

   魅力的なお方なのであろう。

   我が国、財務大臣殿のことである。

   過日、或る件での財務省宛て抗議文書について、記者からこれを

   見た(読んだ)かと聞かれた大臣殿  「もう少し大きな字で

   書いてもらった方が、見やすいなと思った程度に見ました」。

   ご本人は、恐らく本件の「モヤモヤ感」を、洒落かユーモア交じりの

   つもりで答えられたのであろうが、

   このひと言、ーーー聞く人達に不快感や疑念を持たれるような

   「ひと言」は、洒落でもなければユーモアでもない。

   精々「苦笑」程度のセンスである。

   少なくとも、時と場所、世論の注目度合いを勘案すれば、

   当該大臣殿が口にする「ひと言」ではありません。

   文字通り、なんの役にも立たない「余計なひと言」。

   それとも、何か深い読みや意図から、あえて「変化球」の

   答弁をされたのであろうか・・・。

   いずれにしろ、市民感覚では、「余計なひと言」に聞こえるが、

   大臣殿からは「余計なお世話!」 か。

 

 

ある提言

     日頃から世間の動向については、人並みに関心もあり

     新聞に出ている程度の情報は把握しているつもりだが、

     それにつけても、昨今の政権周辺、官僚世界のアレコレは

     一体どうしたものかと、目を覆いたくなる。

     特に、我が国最大の頭脳集団とも言われる「財務省」の

     不手際の悪さには、国民の多くも呆れるばかりである。

     その背景、原因については、思う処もあるが、

     ここではさて置くとして、少なくとも多くの国民が感じている

     イライラの1つは、官僚(政治家も含め)世界の常識は、

     国民の非常識、というあたりにあるのではなかろうか。

     「政争」絡みになるため、「無理筋」と思われる事も「正当化」

     しようと、折角の頭脳をそちらの方面に使っている様は、

     なんとも「もったいない」気がする。

     「いい加減にしてくれ!」と言いたくなることが多すぎると

     思いませんか。

     ーーー そこで、ふと思い付いたのが「財務員制度」。

     かの「裁判員制度」のもじり。

     平成21年施行の裁判員制度は、国民の司法参加により

     市民の持つ「日常感覚」や「常識」といったものを裁判に

     反映させたいということが大きな目的の1つだが、

     「財務省」におかれても、勉強ばかりして、世情に疎い

     人達の集団ということであれば、いっそのこと

     「財務員制度」を導入して、市民感覚や常識を業務遂行に

     反映されては如何でしょうか。

     --- この提言案、勿論1つの「揶揄」「風刺」(笑)だが、

     本気にされかねない状況こそ困りモノでございますネ。

 

情報公開

  Dsc01099_2

      Dsc01100
    上の写真は、東京北の丸公園にある国立公文書館である。

    今までも何度か訪れたこともあり、別段珍しい建物ではないが、

    過日、通りかかった折、「公文書」という文字が、私の研ぎ

    澄まされた! アンテナに引っかかり、おもわず写真を撮って

    きたという次第である。

    世間を騒がせているのは、決してこの建物が悪いのでは

    ありません。

    逆に、 もし未訪であれば、1度は訪ねて、時々の展示物を

    観て廻るだけでも 訪問の価値はあると 申しておきましょう。

      - - -

    さて、公文書から思い起こされる、少しは真面目な話も

    しておこう。

    新聞で触れている程度の知識しか持ち合わせていないが、

    今、世界各国での大きな流れの1つが、「政府の情報公開」

    であり、理屈抜きにこの風潮が定着してきている。

    こういった国際社会の動きのなかで、逆行するかの如く、

    今回の我が国「公文書改ざん」問題である。

    その根は案外深く、単に与野党の政争のレベルではなく、

    政治の在り方に関わる問題である。

      曰く  国会等における 情報開示の消極性

      曰く  どことなく見え隠れする隠蔽体質

      曰く  そこから生じる責任の所在の曖昧さ

    これらは全てその国の政治レベルに関わってくる問題でもある。

     - - -

    ひと昔前、経済は一流、政治は三流と揶揄されたことがある。

     (今や経済も・・・ということになりつつあるが)

    そのモノサシの1つが「情報公開」の度合い、かと思う。

    時々の政権が有する情報は、「特段の事由あるものを除き、

    原則として全て公開」の原理原則が定着しない限り、

    政治の後進性からはいつまでも脱し得ないと思うのだが

    如何なものであろうか。

    情報を一定の思惑によって選別して公開している限り、

    責任の所在も曖昧になり、その分政治のメリハリも薄れる。

    全ての情報を公けにすることで、責任の所在も明確になる

    ことから、その分政治家の姿勢もより真剣なものとなら

    ざるを得ない。(言葉の重みにも繋がる)

    「情報公開」が我が国政治の1つの「鍵」を有していると

    言えないだろうか。

    今回の「公文書」問題が1つの試金石となる。

      

 

なんだか変

   この世の偉大な発見、発明 あるいは難解な問題解決も

   「なんだか変」というあたりから始まるものである。

   第一印象とか第一観で、なんだか変と感じることは、

   大概 やはり変な事が多い。

   したがって、 国民の多くが なんだか変と感じることは

   どこかに問題がある(ことが露呈する)ものである。

     - - -

   くすぶり続けていた「森友問題}がここにきて再び燃え始めている。

   自慢するようなことでもないが、昨年の今頃から、すでにこの問題の

   本質は私なりに予想出来た。

   17年3月頃の、このブログでも、すでに官僚の国会答弁について

   矛盾というか、微妙な立ち位置について言及している。

   この問題は、「圧力やなんらかの指示をしただろう」 「いや全く

   そんなことはあり得ない」というレベルのやりとりを繰り返して

   いても問題解明には至らないのは明白である。

   ただ、この問題自体は、実は単純な出来事(良し悪しは別にして)

   というのが私なりの理解である。

   一強と言われる現政権の2本柱(総理と財務大臣)は、

   偶然にも同じ境遇(政治の有力一族)の生れ育ちで、政界独特の

   「常識」を自然と身に付けた二人である。

   独特の政治家としての処世観を持つ二人が、この問題に

   どう「対処」するかはある程度想像できるのである。

   やや言い過ぎかもしれないが、一強・盤石な政権にとって、

   この国の重要課題に取り組んでいるなかで、「たかが」大阪での

   土地払い下げ、8億値引き程度の問題で国会が揺れ動くのは

   許せない・・・潰しにかかるという基本スタンス(対応)になるのは

   手に取るように想像できるのである。

   現に、その後の国会答弁を聞いていると予想通りの発言・姿勢に

   終始している。

   直近では、既に人事の失敗という結果が出ているにも関わらず

   偶然のように二人とも「今も適材適所」云々という全く同じコメントも

   政治家として当然予想できる発言である。

   財務大臣も以前地元に国立大学の誘致を実現させている。

   世間のあれこれは兎も角、ルールに則り行われていた筈で

   不正ということでは全くない。

   逆に、この実績が、政治家にとってはプラス評価、大物政治家の

   証、勲章、「官僚も一目置く政治家」 という我が国の政治風土。

   こういう視点も踏まえ、「森友問題」を改めて検証すると理解が

   し易くなる。(繰り返すが良し悪しは別)

      産業界・民間企業においても、 消費者の

      「なんだか変」という疑問の声に対して、

      その対応を間違えたり、過少化したり、

      尊大な態度で接すると、命取りになる事がある。

      政治の世界においても恐らく同じ事であろう。

 

 

 

 

大臣の資質

      -  末は博士か大臣か -

   最近、同世代の連中が集まる席で、偶々政治の話題になる事が

   あるが、政治信条の立場は夫々であったとしても、必ずといって

   いい程、意見が一致するのは、「最近の大臣はレベルが低い」と

   いう事である。

   勿論、中には立派に大臣の職務を果たしている人も居るのだろうが、

   一方で、「何故この人がこの所管の大臣?」と思われる人が何人か

   「紛れ込んで」いるのである。

   そして、そういう人に限って、予感!通り、失言や失態をやらかす。

   恐らく、適材適所なんて事よりも、当選回数とか、派閥からの

   推薦等が優先するバランス人事の所為なのであろう。

   さらに厳しい見方をすれば、大臣の候補者集団(政治家全体)

   自体のレベルが低下しているという事もある。

   そのレベルが高ければ、誰を選んでもなんとか恰好は付くのだが、

   肝心の政治家のなかには、「何故この人が政治家?}という人が

   結構混ざっている程の人材不足。

   その中から選ぶのだから、選ぶ方も大変である。

   国民の生命や財産に関わる仕事は、それなりの試験や資格を経て

   その職務に従事している。(医師、弁護士、税理士など)

   ところが、政治家の場合、(厳しい選挙を経てきたとはいえ)当選の

   会見で、○○についてはこれからしっかり勉強する・・で通用する。

   (余談だが、国会議員に対して○○チルドレンという名称も、別段

    抵抗なく世間で受け入れられている・・・?)

   日頃、国民の生命・財産を守るのが政治家としての最大の責務、

   という議員諸氏の話をよく耳にするが、現状の大臣レベルを

   鑑みるに、政治家としての資質・能力について、改めてメスを入れ

   なんらかのシステム(制度)化が必要ではないか、と思うのである。

   この点についてある人が面白いアイデアを提案されている。

   選挙で初当選した人は、一定期間インターン(研修)制度を設け、

   そこで政治家としての専門的な勉強・復習・整理(国会の主要制度・

   議員に関わる主要法律・外交・防衛・予算等)を習得。

   その後(状況により試験実施)正式に議員として就任、その間は

   生活支給程度。 但し知事・市長等の経験者は免除。

   やや面白半分の提案としても、結構いい処を突いているではないか。

    ー - -

   明らかに大臣として不適格と思われる重大な過失や失言があった

   場合、その大臣の交代については、本人が自ら辞任するか、

   総理大臣が罷免するかである。

   因みに憲法では次のように定めている。

     憲法68条

      ① 内閣総理大臣は国務大臣を任命する。但しその

         過半数は、国会議員の中から選ばなければならない。

      ② 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免できる。

   現状のこのルールで、少し問題になる点は、いくら国民の多数が

   あの大臣は不適格、止めさせるべき、と考えても結論的には

   総理の裁量1つということである。

   総理としても、自ら任命した大臣であるから、なんとか理屈を付けて

   穏便に済ませたいとするのは、ある意味自然な力学である。

   そこで、なんとか辞めさせたいとする一方の「力」は、やむなく

   次善の策として「任命責任」を持ち出すことになる。

   でもこの「任命責任」策も、冷静に考えてみれば、 なんだか、

   当事者(当該大臣)を脇に追いやって、 任命者(総理)との

   国会でのやりとりを聞いていると、なんだか空しい「茶番」に

   見えてくるのだが、如何なものであろうか。

   もっとストレートで合理的な正否のシステムなないのだろうか。

     - - -

   最近の憲法見直し論争も、なんらかの思惑があるのだろうが、

   特定のテーマだけを優先的に取り上げて騒ぎ立てている感が、

   無きしもあらずで、やるなら全般的に、時代に即応した

   政治体制関連あたりから、衆知を集めて議論してもらえば、

   我々庶民も「憲法」にもっと関心を持つようになるのだがと

   昨今の政治レベルを横目で見ながらの素人的感想である。

 

 

 

薄れていた記憶

   ある本を読んでいて、突然遠い記憶にあった名前に

   出くわした。

   「新井将敬」である。

   今では 知っている人も少ないであろう。

   私も、そういえば・・・という程度の認識の人である。

   が、 なんとなく気になったというか、好奇心に駆られて

   改めて新井将敬をネットで調べてみた。

   彼の経歴は、概略次のようであった。

      1948年生れ 在日 16歳の時日本国籍(帰化)

      大阪北野高校から東大卒。 新日鉄から大蔵省、

      渡辺美智雄の秘書を経て国会議員4期

      1998年 利益供与の疑いで 自殺(50歳)。

   少しづつ記憶が蘇ってきた。

   確か、母親が、息子に対する疑いに対して

   「何故息子だけが・・・政治家として誰でもやっている事

   何故?・・・」と訴えていたことをうっすら覚えている。

   (その背景に 在日 ということがあったのであろうか)

   自殺そのものにも、当時からなにかと疑惑の声があり、

   今も、自殺は疑問とする立場の人もいるようである。

   彼の政治家としての思想・信条について、よく知っている

   わけではないが、大蔵官僚から渡辺大蔵大臣(当時)の

   秘書官というコースを見る限り、ある程度、立ち位置が

   想像できる。

   が、彼の特質は、しっかりと自分なりの意見を持ち、

   党内にあっても言いたいことは言うというイメージが強い。

   そういった事から、若手政治家のなかでは論客として

   テレビ等にもよく出ては、メリハリのある発言をしていた

   ように思う。

   在日という当時のハンデある立場ながら、東大から大蔵省

   国会議員のコースを見る限り、相当の努力と有能さが

   覗われる。

   政治的立場はさて置き、50歳の若さで自らの命を絶った

   有能な政治家がいたということを改めて思い起こす事も

   無駄ではないような気がしてきた。

   特に、昨今の若手政治家の相対的劣化を思う時、

   果たして今、自分なりの意見を自分の言葉で、解り易く

   世間に訴える政治家は何人いるだろうか。

   精々、小泉進次郎を思い浮かべる程度ではないか。

   そんな事を、薄れつつある記憶のなかで考えさせられた

   事であった。

 

 

今日のひと言

   「市長は支持者だけの市長ではなく、自分に投票

    しなかった人にもよき市長でなければならない」

                       (ある新聞記載の文面より)

   何気ない一文であるが、ふとこころに残った。

   衆議院選挙が近いということもあるのだろう。

   昨今の国会議員の言動を見るにつけ、余計にこの一文が

   重みを増すのである。

   支持者や支持団体しか目に入らない「御身大切」の

   議員(候補者)が多過ぎやしないか。

   確かに「当選しなければ話にならない」ということもよく解る。

   だが、人間なんて所詮弱いもの、結局当選してからも

   その「根性」は修正出来ず、引き摺っていくのが人間。

   いままでの1,2回生議員をみているとよく解る。

   国会議員を目指す人がまず基本にすべきことは、

   国や国民の為の政治、国会議員の第一条である。

一市民の「民主主義論」

   総理の「こういう人たち・・」と言う発言については、

   すでに様々な批判や擁護論が出回っており、

   追随的に触れることは避けるが、

   一連の「騒動」のなかで、一寸気になったことは、

   これに関わる官房長官の「言葉」の方であった。

   即ち、「全く問題ない。 民主主義だから発言は自由」

   というものであった。

   ここで「民主主義」という言葉が出てきたのである。

   勿論、「民主主義→発言の自由」という論理は全く

   その通りであり、間違ったことを言われているわけではない。

   が、なんとなく私には違和感が残ったのである。

   それは、いわゆる政権を担う立場(権力者)側からの

   発言である故での戸惑いということに思い至った。

   「民主主義」というのは、単純、素朴に時々の権力

   にも自由にモノが言える社会、と受け止めていたので、

   改めて政権を担う立場の人から民主主義云々と

   言われて なんとなく「?」と感じた次第である。

   勿論、総理といえども、1私人の立場においては、

   発言の自由はあるが、公人としては・・・・ 果たして

   如何なものであろうか。

   (余計なことながら、「国会審議」での議員の発言に

    ついては、責任を問われないという法律あり)

   今回の政府中枢の発言を機に、「民主主義とは何か・・」

   と少しばかり考えさせられたではありませんか、

   官房長官殿!

 

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