経済・政治・国際

権力小考

   人それぞれ、様々な見方や考え方があっていいわけだが、

   直近の或る週刊誌の見出し、「日本の政治はなぜこんな

   ことになってしまったのか」に、感覚的に同調の思いの人は

   案外多いのではないだろうか。

   その背景は、政策云々以前の問題で、たとえば政治手法、

   国会質疑対応、処理の不味さ、強引さ、言葉足らず、軽さ

   等々、要するに「節度」に起因しているところが大きいように

   思われる。

   今朝のニュースでも、官房長官の談話で、「加計問題は

   たまたま総理の友人で・・・」という表現がなされていた。

   たまたま総理の友人だっただけのこと・・・の説明で「了解」

   となるのだろうか。 

   諸々の意味でなんだか、米国トランプ政権が発進する

   空気と類似するところがあるのがなんとも微妙な話。

     - - -

   「なぜこんなことに・・・」については、左程深刻に捉えて

   いるわけではないが、その原因について、少し考えて

   みると、やや本流から離れるが、2つの遠因が浮かんだ。

   1つが、「小選挙区比例代表並立制」 の導入。もう1つは

   「中途半端な行政改革」である。

   小選挙区制については、勿論利点もあるが、この導入に

   よって、なんだか国会議員が「小粒」になったというか、

   いわゆるサラリーマン化したように思えて仕方ない。

   政党(政権)安定化には働くが、個々の議員にとっては

   不安定化が進み、その分、各議員にどっしりと政策に

   取り組むという余裕が希薄化しているのではないかと

   思えるのである。

   選挙(就職活動)を必死に戦い、当選によって得られた

   就職(議席)をなんとか死守することに汲々。

   長期的視点よりも目先の立場安定が優先で、なんだか

   議員までが、上をみて仕事をする役人かサラリーマンに

   見えてくるのである。

   本来6年間解散もなく、長期的視野で国家の課題に

   取り組むべき参院議員も同様である。

   一方、行政改革については、

   以前、省を統合し、省の数を減らしてスリム化を図り、

   一見行政改革を推進したかに見えたが、左程職員数が

   減少したわけでもなく、無理に「厚生」と「労働」を一緒に

   して「厚生労働省」としたりして、結局昨今は担当大臣を

   増やすことによってかえって組織・機構が複雑になり、

   その結果大臣も省を掌握しきれず、仕方なく官僚任せと

   いうのが散見するようになり、大臣そのもののステータスを

   低める結果となっている。

   これら諸々の事柄から、より権力の一極集中が高まり、

   それが 「なぜこんなことに・・・」に少なからず繋がって

   いるのではないか、というのが私なりの感想である。

   昔、当時のある総理が、オフレコの場で、側近から

   少しやり方が強引過ぎるのではと言われた際、

   その総理は、なかば冗談っぽく「君ィ! それが

   権力というものだよ」 と返した由。

   どこかで読んだことを思い出した。昔の話である。

 

 

 

政治の裏話

   元国会議員の自嘲めいた話に「そうだ議員」という

   言葉が出てきた。

   どうやら、その人の「造語」らしい。

     国会議員を目指すような人は、皆それぞれに

     胸の内に熱き思いや、気概を持っているものである。

     が、実際その世界に身を置くと、政治の現実の壁に

     ぶつかり、いつの間にか、自らの信条・信念は脇に置き、

     党内上層部のご意向に沿って、そうだ! そうだ!と

     叫ぶことが、その人の立ち位置になってしまっている

     議員のことをいう。

   今や、新人が国会議員になるためには、当該政党の

   お世話や支援がなければ当選は覚束ない。

   必然そこにある種の恩義関係が生じる。

   さらに議員になれば、少数選挙制からの上層部権力

   集中を目の当たりにすることからも、ますます

   常に上層部の言動を意識し、「忖度」せざるをえない土壌が

   生まれることになる。

   これらを背景として「そうだ議員」が出現する。

   上層部も、如何に多くの「そうだ議員」を育てるかが、

   直接安定政権に結びつくだけに、利害?は一致する。

   昔の思想対立というよりも、現在の政党は政策の手法

   方向性等の比重でグループ化してきている面が強いだけに、

   本来党内での侃侃諤諤がもっとあって然るべきだが、

   現実は、衰退傾向にある。

   変に党内意向に反対意見をぶつけて睨まれては、

   冷や飯を食らうだけ。

   それが次の選挙に影響となると・・・そうだ!そうだ!が

   無難という空気となる。

   勿論、「そうだ議員」もベテランになると、同じ「そうだ!」

   でも何種類に使い分ける。

   時には、異論を展開して、存在感をアッピールすることを

   忘れない。

   このあたりのニュアンスに長けてくると、次第に国会議員

   らしい雰囲気が身に付きだし、やがて政務官、副大臣の

   ポストも近くなってくる。

   運がよければ、もしかして大臣もという道が開かれる。

   ただ、これらの「そうだ議員」、多くは、議員本来の政策面や

   専門分野での研鑽、切磋琢磨に欠けるところがあり、

   折角重要ポストについても、失言やつまらない行動で

   墓穴を掘り、長年の下積み生活を台無しにするという

   ケースが時折見掛ける・・・という誠に残念な政治の裏話。

   (道半ばで夢破れた議員の話だけに、さてどの程度・・・・)

 

 

 

 

 

論理矛盾

  国有地売却問題

    不動産売買は、通常売り手と買い手双方の意志・同意

    によって成立する。

    もしその売買に瑕疵・不明な点が社会的に問題になれば、

    売り手買い手双方に説明責任を課すのが道理というもの。

    本件、売り手側の当初の説明(国会における財務大臣

    答弁)は、ルールに従い、正常な手順で行われており、

    なんら問題はない、というものであった。

    (その後もそのスタンスは不変)

    それなら、何故「買手側」だけを国会に呼び、証人喚問

    するのか、明らかに論理矛盾である。

    もし、この売買に関連して、買手が不正に補助金等を

    受給しているとすれば、それは別途刑事事件として

    取り扱い追求すればいい事であって、国会で追及する

    のは本来の問題から離れたスジ違いである。

    本件、何かが隠されているのか、全ての対応が

    歪んで見えてくる。

      - - -

  いわゆる忖度問題について

    忖度というのは、論理的に忖度する側の事象であり、

    忖度される側が、あれこれ論じても、本来説得力は

    ないという性質のものである。

    たとえば、忖度される側が、100回忖度されることは

    ありえないと叫んでも、忖度をする側が、1度でも

    忖度しましたと言えば、忽ち打ち消される。

    これが本来「忖度」というものの本質である。

      - - -

 公人か私人かの議論について

    法的には、明らかにする必要性が生じる場合も

    あるだろうが、通常はあまり重要な議論とも思えない。

    総理は24時間如何なる時も 総理である。

    同様に、総理夫人も24時間 「総理夫人」である。

    ただこれだけのことである。

     (但し、総理夫人は公けの責任はほとんどない)

    たとえば、プライベートでデパートに買物に行かれた

    場合、あくまで「私人」だが、店側は具体的な利便は

    供しないとしても、それなりに気を使う(→忖度)のは

    自然の姿である。

    もし仮に、夫人が何らかのトラブルを起こされた場合、

    店側は、出来るだけそのトラブルが表面化しないよう

    対処(→可能な限り隠蔽)するのもある程度自然の

    姿である。それが社会通念というものである。

    表面化して、その時公人だったか私人だったかと

    議論してもあまり意味はない。

    あくまで「総理夫人」 それだけである。

    夫人も24時間 「総理夫人」なのである。

 

 

 

霞が関世情

   どう考えてもなんだか変という、如何にも脇の甘い

   出来事が頻繁する世も困ったものだが、

   締め付けの厳しい窮屈な世の中も勘弁願いたい

   ものである。

     - - -

   経産省が、全ての執務室に施錠し、外部からの出入りを

   規制するとの由。

   確かに官・民に関わらず、一定の情報管理は必要だが、

   「施錠」するまでに至るこの「世情」には驚いた。

   この感性というか、感覚はタダモノではない。

   なんだか変と思っていた矢先、更なる事態が表面化した。

   その施錠された内部で、異様とも思える日本礼賛本

   (世界が驚く日本)や万博誘致の「関西弁報告書」が

   多額の税金を使って、作成されていたとのこと。

   流石にこの関西弁の品性の無さに、大臣も不適切

   だったと即撤回のお粗末。

   さらに付け加えると、この関西弁報告書の作成過程が

   如何にも役所的!

   「博覧会推進室」という立派な部署で、「有識者」らによる

   検討会まで行っていた由。有識者の見識如何(遺憾?)

   さらに制作には、関西弁に「精通」した人も加えたという

   この念の入れよう・・・・でこの有様。

   どこから突っ込まれても釈明できるよう、形式的な

   手順はしっかり押さえるが その結果がこのテイタラク。

   なんだか、時折見かける典型的な役所のお仕事。

   だと思いませんか?

     - - -

   さて経産省の「施錠」のニュースを聞いて、

   思い出した昔話を1つ。

   何十年も前、現役時代のある時期、月に1度大蔵省

   (現財務省)に報告書を届けていたことがある。

   一応正門で、形式的にチラッと社員証を見せれば

   中は自由。

   報告説明も、直接執務室の中に入り、担当官の

   デスクで行う。

   資料で埋まる机、個々に電話中や、打ち合せの担当者。

   それら雑然とした雰囲気のなかで、担当官からの

   質問に答えていた。

   ただ、先客があると、廊下で立ったまま順番待ちである。

   そんなことを今も覚えている。

   天下の大蔵省は、お世辞にも立派なオフィスとは言えず

   比較的出入り自由、雑然とフランクなものであった。

   ただ、流石に大臣・次官クラス(入ったことはない!)の

   部屋の前の廊下は赤絨毯。

   当時経産省も同じような雰囲気と記憶しているが、

   今や その全執務室に「施錠」とのこと。

   官僚の世界が変わってきたのか・・・

   それとも 世の中がそのように変ってきたのだろうか。

 

傍観の合間で

  歳の所為にする訳でもないが、段々と政治や社会問題で

  口角泡を飛ばすような議論をすることも稀になってきた。

  諦観というとなんだか聞こえがいいが、まあ「傍観」と

  いうのが順当なところである。

  それでも時折、「俺にも言わせろ」と思わず言いたくなる

  ような事柄に出くわすことがある。

  最近では 「国有地売却問題」然りである。

  内容そのものについては、理解不能なものも含めて

  アレコレ出回っている途中であり、ここでは控えるとして、

  国会でのやり取りを聞いていて、一寸気になった事を1つ

  だけ取り上げておきたい。

  「官僚たちの答弁」についてである。

  今更青二才的なことを言うつもりもないが、彼ら官僚たちは

  誰のために仕事をしているのであろうか。

  勿論その前に「御身大切」の気持ちは痛い程解るが、

  本件におけるような国会での質疑は、特に国民(主権)に

  よって選ばれた代議員によって経由される、いわば国民の

  「なんだか変」と感じる疑問の集大成である。

  したがって、官僚たちの答弁は、本来国民に向けた答弁

  説明でなければならない。

  が、現状ではその視点が全く欠落しており、解り易く

  事実を説明しようとする姿勢よりも、最初から弁明ありき

  のように聞こえてしまうのはどうしてだろうか。

  官僚とは一体何?と改めて考え込むのである。

    - - -

  官僚のなかには、資質・能力に優れ、人間的にも

  立派な人を多く知っている。

  したがって安易に無責任なレッテルを貼るつもりはないが、

  他面、官僚たちが、実質的、実際的に、この国の在り方に

  大きく影響していることも忘れてはいけないと思う。

  確かにあらゆる決定は、国会等の表舞台で行われるが

  その裏の舞台では、常に官僚が下書き・デッサンを描いて

  いるということを・・・。

  官僚の知的・質的レベルがこの国のレベルにも成り得る。

    - - -

  余談ながら、現在全国地方自治のトップ(知事等)の

  6割以上が官僚出身である。

  それが、いい悪いではなく、彼らのネットワークと

  中央(集権)との結び付きによって、地方自治が機能

  しているというのも「一面」の現実である。

  だからこそ、現役の官僚にも「国民・市民のための仕事」

  を自覚してほしいのである。

  なんだか官僚に対する辛口のコメントになったが、

  本来の職務に邁進してほしいとの願いを込めた

  「エール」でもある。

 

 

非公開質問

  歳を取ると子供に還るとも言います。

  以下は、子供っぽさ充満の、単純素朴な質問(や感想)の

  あれこれです。(但し小骨には注意!)

  目くじらたてるほどのものではありませんのであしからず。

     - - -

アベノミクス・三本の矢

   三本目の矢は、結局どうなったのですか?

   日銀や財務省職員の皆さんは、今も「アベノミクス」に

   なんの疑問も感じず日夜職務に励んでおられるのですか?

地方創生

   今の担当大臣は誰だっけ? と聞きたくなるほど

   ひと頃の勢いはどこに?

   勿論、知っておりますよ 山本さん!

女性活躍社会

   松島みどり 高市早苗 稲田朋美 丸川珠代 と

   流石の陣容、夫々物議を醸す位にご活躍。

   皮肉にも「非推薦」の女性都知事まで大活躍。

   嬉しい悲鳴ですか?

   さらに「国民総活躍社会」へと、キャッチフレーズにも

   一層磨きがかかります。

拉致問題

   確か、最重点課題の1つでしたね、 その後の進捗は? 

沖縄基地問題

   進捗? それとも 泥沼?

北方領土問題

   進捗?

TPP

   頑張った割には・・・なんだか不完全燃焼でしたね?

      - - -

  現政権、魅力的なキャッチフレーズやアドバルーンが

  次々に掲げられる割に、冷静にこれらを検証していくと

  案外、今1つの感がするのはどうしたものでしょうか。

  いやなに、別段反体制など仰々しい立場で申し上げる

  のではなく、あくまで1庶民の率直な感想です。

  確かに、総理自身の行動、動きには、一生懸命さが

  伝わります。頑張っておられることは認めます。

  ただ総理を取り巻くブレーンや大臣に「熱い気概」といった

  ものが伝わってこないのです。

  その理由は案外簡単です。

  長期政権が計算内にあるからでしょう。

  現政権を揺るがすような対抗馬が、野党にも、党内にも

  ない状態では、 致命的なミスだけに気を配る安全運転、

  無難な「形作り」で安定政権というのが或る意味政治の

  常套でもあります。

  次々と生み出されるキャッチフレーズも、我が政権は

  果敢に課題に取り組んでいるという「形作り」といったら

  言い過ぎでしょうか。

  少なくとも、その成果について、冷静に検証することは

  必要かと思われます。

  逆説的に言えば、現政権の弱点は、政権を奪取するような

  強力なライバルが存在しない、という事ではないでしょうか。

  私なりに見ている今の政治、率直な感想です。

 

 

18歳の主張

   1990年代前半、我が国も「失われた10年」といわれる

   時代に突入した。

   このため、更なる構造改革の必要性が叫ばれ、それなりの

   施策が打ち出されたこともあり、なんとか2002年頃、

   一応の落ち着きをみせるようになった。

   が、その後も少子高齢化を背景として、社会保障、年金、

   介護等々の問題が顕在化していくなかで、「改革」気運も

   息切れ状態。

   この結果、「失われた20年」と言われ出す状態となり、

   それが今日まで続いている。

   近時、「アベノミクス」と言われる政策を推進中だが、

   文字通り、(道)半ば。

   ここでは、その是非は控えるが、外野席からの感想として、

   往年の「景気循環論」華やかな時代の経済(景気)対策、

   の「名残」を引き摺っているのでは・・と感じるところがある。

   さらに加えて今必要な事は、

   時代に即応した経済の仕組み、雇用、生産、流通、

   税制度等々の思い切った「構造改革」。

   この改革推進のためには、信頼される政治、様々な

   既得権者と真摯に対峙する勇気が前提。

   裏返せば、今政治に期待したい事柄でもある。

     - - -

   我々世代は、幸いにも、高度経済成長、バブル経済まで

   経験している。

   そしてそれらを踏まえた過去のモノサシで、現状を観る 

   ところがある。

   必ずしも、それが悪いとか、否定されることでもないが、

   要するに「囚われないで柔軟に」という姿勢が大切、

   かと思うのである。

   そんな事を改めて考えさせられたのが次の一言である。

     - - -

   今回から、選挙権が18歳以上からとなり、初めての

   行使となるが、それに関連して、18歳のある若者の

   発言が某新聞に掲載されていた。

   次のような主旨であった。

    「 今は不況だといわれているが、僕たちは

      子供の頃からずっとこんなだったから、

      これが普通だと思っている。

      社会が現状のままでいいとは思わないが

      日本は高度な技術もあるし、将来は

      なんとかなる」

    したがって、不安を煽るような候補者の話は

    つまらない、と言うのである。

    我々世代が見落しがちな発想に、少なくとも

    私は教えられた。

    特に これが普通だと思っている・・・という言葉に

    我々が忘れていた「世界観」を感じたのである。

    如何なものであろうか、ご同輩!

 

潮流を読む

   「潮流を読む」とは、我ながら大きく出たものである。

   いやなに、ほんのいつもの「遊び心」の「出来心」。

      - - -

   世界の潮目が変わりつつある。

   英国のEU離脱の報を接しての第一観、である。

   テレビでは、相変わらず 「EU」と「ユーロ」の区別も

   曖昧なようなコメンテーター達が、観てきたような解説を

   して頂いている。

   勿論、スジ違いのことは言われていないが、

   我々素人でも思い付くような「常識論」が大半。

   知りたいのは、事の本質と「潮の流れ」。

      - - -

   一見、離脱の本質と離れるような話になるが、

   結果の良し悪しとは関係なく・・・

   今回の「国民投票」、そのものに、何かを考えさせられる。

   他山の石、として・・・。

   そもそも、国民投票とは  そこから得られる民意とは、

   そもそも、その民意は常に正しいか。

   そもそも、・・・突き詰めていけば民主主義とは。

   そう言えば、「民主主義は常に発展途上」という言葉が  

   あった事を思い出す。

   日本国民も他人事ではない。

     今回の参考データ

         投票率    約70%

         離脱賛成  約52%

         残留賛成  約48%

     - - -

   今回の国民投票、 背景の1つは 「移民問題」

   EU諸国が抱える共通問題。

   移民問題自体が、世界を取り巻く「格差社会」の

   潮流を背景とし、各国の対応も、微妙にこの「格差社会」

   が、影響を持つ、と見ておきたい。

   今回の国民投票の結果にも、その影響が濃い、と

   見ている。

     - - -

   倫理や道徳観とは別に、人間の経済社会では、

   何らかの「格差」が生じることは必然とも言える。

   したがって、一定の経済、社会的地位等での上位層が

   発言力、決定力を持って社会を動かせていくのも、

   1つの成り行きである。

   ただ、民主主義の成熟過程で、その抑止力が高まって

   いくことも1つの成り行きである。

   ここで、注目しておきたい点として、

   経済分野にあっては、「数の論理」は不変ともいえ、

   たとえば、株主は保有株数で歴然と差が生じるが、

   政治の世界では、たとえば選挙権はその人の

   地位・立場に関係なく「一人1票」。

   そこには何ら格差は生じない。

   実はこのことが、今後の世界の潮流と大いに関係して

   くるのではないか・・とみている。

   今回の国民投票の結果も、現実の格差社会で、

   比較的下位層の人達の声が大きく反映されて

   いるのではないだろうか。

   米国の大統領候補 トランプ(本人は大富豪)が、案外

   根強い支持を得ているのは、同様の図式では・・・

   と、推測しているのだが、果たしてどうだろうか。

   やがてその潮流も日本に・・というのが

   「遊び心」から出たご隠居の細やかな読みである。

 

 

 

 

 

 

 

渡世(都政)の話

   「流石にうんざりしますぜ」という都民の方も多かったに

   違いありません。

   都知事の辞職で一応1つのヤマを越したことになる。

   ここで、大群衆が発する論調と同じような事を一緒になって

   「ハモッテ」いても今1つ面白くない。

   こういう時は、大群衆からそっと離れて、独りになって

   みるのも1つの手である。

   また違った風景が見えてくることがある。

   「裸の王様」に出てくる子供になったような眼で、

   一連の騒ぎを見てみる事にしよう。

   恐らく常識ある大人達からは、何も解っていないと、

   一笑に伏されるような話になるだろうが・・・。

   東京都は、所詮地方自治体の1つに過ぎない。

   (スケール的には、中クラスの国に匹敵するが・・・)

   そもそもその自治体のトップの人選や何やかに、

   何故「国政・政党」がしゃしゃり出てくるのか。

   その選挙結果が、何故政党の勝ち負けになるのか。

   東京以外の各地方都市においても、その首長選挙が

   国政選挙の前哨戦とか言われる事が多いが、

   地方都市の首長は、その地方独自の行政を担当する

   組織のトップに過ぎないのではないか。

   その地域独特の問題・課題を踏まえた行政に精通し、

   それらを適格に判断し、実行する人材で十分である。

   まして、地方自治体は、国との関連を無視した運営は

   現実的ではないが、少なくとも国の出先機関(支店長)

   ではない筈である。

   本来、どの政党から選ばれた(推薦・公認)かは、

   ほとんど参考程度の事だが、現実は、それで当落が

   決まるところがある。

   民間企業においても、昨今社外取締役の導入や、

   トップまでも社外から招聘というケースも散見されるが、

   大半は、その企業独自の業態に精通し、経験豊富な

   人達の中から、トップに相応しいと認められた人が

   そのポストについているのが普通である。

   このいわゆる「生え抜き」をトップに据える体制を、

   地方自治体が取れない決定的な理由は何だろうか。

   そういう人達よりもやはり政党推薦で、選挙によって

   選ばれた人の方が、そのポストに相応しいという

   1つの儀礼通過による安心・納得感か・・・。

   公共的・独占業務というのなら、あえて民営化に

   踏み切った 郵政やJR各社の社長との決定的な違い

   はどのあたりにあるのだろうか。

   百歩譲って、今回都知事が任期途中で辞任することで、

   何十億掛けて選挙、ということになるが、

   今任期末まで、副知事が代行する、ということを何故

   できないのだろうか。

   それでは忽ち都行政が頓挫してしまうという致命的な

   理由でもあるのだろうか。

   (世間的にはよくあるルールの1つ。

    そういう「決まり」だからという次元の話ではなく・・・)

   子供の眼から見ると、

   今の東京都は、図体ばかりが大きくなり過ぎた

   マンモスのように見えます。

   あまり大きくなり過ぎて、

   自分のことを自分で制御できなくなってきています。

   仕方なく「第三者」に頼ることになります。

   思い付くままに書き綴った事・・・

     「何も解っていない」と、一笑に伏される方は

     常識に溢れた大人です。

 

 

 

 

綱渡り

Dsc00716           ( オランウータンの綱渡り)

   チンバンジーやオランウータンの綱渡りは観衆拍手喝采。

   ところが、なにかと話題沸騰、 都知事の「綱渡り」。

   あまり乗り気はしないが、やはり都民の一人として、

   少しは触れておかねばならないだろう。

   ことの真意は知る由もないが、メディア経由で拝見して

   いる限り、当人頑張れば頑張るほど、なんとも見苦しい

   「見世物」にみえてくるのはどういう事だろうか。

   さらに自らの進退の判断も「第三者」に委ねるとの由。

   某評論家曰く、これは政治の世界特有の居座りの妙手

   とのことだが、一般市民の感覚からはますます「品性」

   の問題に飛躍の懸念。

   本人にとっては、縦横に使える分厚い「財布」をやすやすと

   手放してはなるものかの気迫充満の構えか。

   もし居座りに成功されても、「あの○○」というイメージが 

   これからも付いて回るに違いない。

   それでは本人も辛かろう と同情を禁じ得ない。

   もしご両親がご健在なら、「○○!もういい加減にせんか」

   とおっしゃるに違いないとも思うのだが余計なお世話か。

   さてその両親に代わって、都議会がどう言うのか。

   都議会(議員)も他人事ではない。

   1つ注目して見守ることにしよう。

   (都民だって他人事ではなかったのだ!)

 

 

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